共に生きる教会

会堂がこの地に建てられて、26年が経つが、大きく変わったと思うことの一つ目は、年々暑さが尋常ではないことである。教会の周りに植えていたツタが、今年の暑さによって太い根は腐り、至る所で枯れたのは初めてのことであった。

そして二つ目は、教会の周りに住む人々が、高齢化のために一人暮らしが増えていることである。教会の建つ三井住宅には、700軒の住宅があるが、一人暮らしはそのうち200軒に昇る。西上尾第一団地は3000戸あるが、1000戸が一人暮らしである(こちらは高齢者とは限らないが)。高齢者の一人暮らしには、さまざまなリスクが伴う。近所付き合いも少なくなり、孤立化からメンタルが低下し、うつ状態になりやすく、事故や病気、緊急時の対応の遅れ、孤独死など・・。

人は、一人では生きてはいけない存在である。創世記2章は、単にパートナーとの結婚の話しではなく、人と人との関係は、お互いの弱さも認めながら、共に助け合って生きる者同士のつながりだということを教えている。主なる神が「人が独りでいるのは良くない。」創世記2:18と言われた。天地を創造し始めて以来、神は繰り返し「これは良い」と言われたが、ここで初めて「良くない」と言われた。「良くない」と言われたのは、人間が造られた目的にそぐわない、本来の生き方ではない。つまり、私たちは、本来、一人で生きるようには造られてはいないと言うことである。

人間は、交わりを持つべきものとして造られたのである。それ故に、「彼に合う助ける者を造ろう。」創世記2:18と主なる神は言われた。「彼に合う」とは、気が合うという意味ではなく、「向き合う」という意味である。お互いに違う存在でありながら、お互いに向かい合い、助け合いながら歩む。私たちにとって最も必要なものは、「差し向かいになる相手」であり、「心と心が響き合う相手」である。そのような相手と共に生きるように、私たちは造られている、これが聖書の示す人間関係である。

主は、「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。」ヨハネ14:18と言われ、どんな時にもあなたをひとりぼっちにしない、わたしはいつもあなたと共にいて、あなたを置き去りにはしないと約束してくださっている。上尾教会が、地域の人々にとって、主が言われるような人間関係が造り出せる、共に生きることのできる居場所になれることを願っている。地域に開かれた教会として、これからもますます会堂を用いていきたい。そのために、私たちに何ができるのか、祈り求めていきたい。