日本には、「七五三」という子どもの成長を祝う伝統的な行事があるが、教会でもこの時期に子ども祝福式を行うことによって、子どもたちの健やかな成長を神に感謝し、祝福を祈ってきた。ユダヤの社会でも、そのような風習があったことが聖書に記されている。三歳になると、過越の祭りに出るためエルサレムに上り、五歳になると親の手ほどきで聖書を学び始め、七歳になると、「シナゴーグ(会堂)」に通い、聖書全体を学ぶ学校教育を受けた。そして、「ラビ」と呼ばれる聖書を教える教師から、手を置いて神の祝福をお祈りしてもらうという習慣があった。
だから人々は、子どもたちを祝福してもらおうと、主の下に連れて来た。すると弟子たちは、主を煩わせたくないと思ったのか、人々を叱って子どもたちを退けようとした。これは日本の教会にも言えることではないか。日本の教会では、子どもたちを礼拝から締め出してきた歴史がある。子どもがいると、落ち着いて礼拝ができない、子どもには説教はわからないと、子どもには教会学校だけの参加を促してきた。しかし主は、逆に弟子たちを叱って、「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」マルコ10:14と言われた。
この「神の国」の祝宴に、子どもたちも招かれている。「神の国」とは 「神の支配」のことで、「聖霊によって与えられる義と平和と喜び」ローマ14:17に満たされる所である。それが毎週の礼拝に参加することによって、子どもたちの心にも与えられていく。上尾教会はミッションステートメントに掲げたように、「私たちは、神の栄光をたたえて、こどももおとなも一緒に礼拝を献げます。」を大事にしてきたし、これからも大事にしていきたい。御言葉は子どもの毛穴からでも入っていくと思うので、礼拝に一緒に参加していく内に、主を信じる時が必ず訪れるであろう。だから、子ども祝福式は年に一度のことではない。毎週の礼拝こそ、子ども祝福式と言える。
先月の連合の小羊一日集会に参加した教会は、連合21教会・伝道所の内、8教会であった。子どものいない教会が少子高齢化の中で、増え続けている。それは、教会の危機であると言える。子どもたちは、神の国の祝福の下でこそ、身も心も健やかに育っていくので、「子供たちをわたしのところに来させなさい。」との主の言葉を聴いて、日頃から、子どもたちを礼拝に誘いたいものである。礼拝で一緒に神の祝福に与ることができたら、神の国がそれぞれの家庭の中にも実現していくだろう。

