確かな道を歩んでいくには

2026年度の新しい歩みが始まった。この一年、主のご計画が私たちの教会にどのように成されるのか、大いに期待し、又、主の示してくださる確かな道を忠実に歩んでいきたい。そのためには、何が必要なのだろうか。

丁度、冬期講座でコへレト書から、「それでも、今を生きる」というタイトルで講義してくださった小友聡先生の一つの話が心に残った。それは、私たちが目標に向かって確かな道に進むために、ボートを漕ぐ人のようになることだと言われた。ボートを漕ぐ人は、前を向いては漕がない。後ろ向きになって漕ぐ。即ち、過去に目を向けて漕ぐから、確かな道を進むことができるのだと言われた。その過去に目を向けるとは、何千年もの前に起こった出エジプトやバビロン捕囚、主の十字架と復活の出来事や初代教会の歩みなど、御言葉を聴くことによって、今を生きる私たちにも、確かな道が示されるということを教えられた。

最近「牧師のいない教会」というYouTubeを観て驚いた。日本には、7千近い教会があるが、その内、6教会に1つの割で無牧師となり、その割合が増えている。財政的に牧師を招けない、牧師のなり手がいない、地域格差が広がっているなど、人口の減少に悩む地方の教会ほど事態は深刻である。一人の牧師が県をまたいで、複数の教会を牧会し、土曜日に礼拝を捧げている教会もある。そんな中で、教会の使命を信徒の方々がしっかりと共有し、信徒説教者を立てている教会もある。

教会も使命を果たし終えたら、新約時代の教会が消滅していったように、今日の教会も消滅していく。連盟の「新政策タスクチーム」の会合でも、教会員が10名以下になり、総会も開けず、主体的に教会運営が出来なくなった教会には、閉鎖の手助けも協働の働きとして必要ではないかという、厳しい意見も出ている。

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」マタイ18:20と主が言われたように、教会は建物でも人数でもない。上尾教会も、建物もなく人数も少ない中で始まった。「主の名によって集まるところ」にこそ、教会は立ち続けることができる。それは宣教の使命に生き続ける教会でもある。上尾教会は、この世界から、この社会から、この地域から、どのような使命が与えられているのだろうか。その使命を御言葉から、しっかりと聴いていきたい。