主イエスを信じるなら、家族も救われる

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」使徒言行録16:31

この御言葉の約束に、どれほど多くの人が慰められ、励まされてきたことだろうか。「主イエスを信じる」だけで、「あなたも家族も救われる」からである。

では、救いとは何か。それは、主イエスを信じる者が、罪によって断絶した神との関係を回復し、永遠の命が与えられ、神と共に生きることである。それによって、神は「遠い存在」ではなくなり、神を「父」と呼べるようになり、神の愛の中に帰ってくることができる、これが救いの意味である。また、 救いとは、主の十字架の贖いによって、「罪が赦される」ことであり、主の復活によって、「永遠の命が与えられる」ことである。「神と共に歩む人生」とは、神の平安が心に宿り、死を恐れない希望が与えられる、これが永遠の命の始まりである。

救いとは、「人生が新しくされていく」ことでもある。心が変えられ、生き方が変わる、家族や人間関係にも光が差し込む、救いは、人生全体を包み込む神の働きである。「私が主を信じてから、けんかの絶えなかった我が家が、賛美と感謝の絶えない我が家になった。これほど大きな奇跡はあるでしょうか。」と、証してくださった方がいた。だから、「あなたも家族も救われます」という約束は、信じる者を通して、家族にも神の救いが広がるという希望の言葉である。これは「自動的に全員が救われる」という意味ではなく、あなたが信じたことを通して、神が家族にも働いてくださる。家族にも救いの道が開かれるという、神の恵みの広がりの約束である。

バプテスマは、その救いの恵みを目に見える形で受け取る大切な式であり、主と結ばれた新しい人生の出発点である。ローマ6章は、バプテスマを「キリストと共に死に、共に生きる」という出来事として語る。バプテスマは、古き罪ある自分が死に、主の永遠の命に生きることを象徴する恵みのしるしである。だから、すべてを理解してから受けるのではなく、信じて歩み始めるために受けるのである。そして受けた後、聖霊が働いて信仰が強められていく。多くの人が「受けてから祈りが深くなった」「聖書が心に入るようになった」と証しするのはそのためである。

「あなたも家族も救われます」という約束は、信じた者を通して、家族にも救いの恵みが広がるという希望の言葉である。バプテスマはその恵みのスタートとして、家族の救いのための祈りと希望を支えるしるしにもなる。その恵みに与りたい。