わたしたちに必要な糧を今日与えてください

毎日食べる物がなくて苦しんでいる人が世界中に8億人、その内の7割、5億人以上が子どもたちである。もっとも弱く小さい命が、飢餓のために命を失っている。飢餓というのは「食べ物の量の問題でない」と言われている。世界では、穀物だけでも、毎年27億トン生産されている。これは、なんと約150億人分の消費量に相当するそうだ。つまり、世界の人口80億人を養うのには、十分過ぎる量の食料が生産されているということになる。それなのに、なぜ飢餓が発生するのか。  

それは、飢餓というものが、食べ物の量の問題ではなく、食べ物があっても、必要なところに行き届かないという問題なのである。食べ物がそこにあっても、お金がないとその食料を手にすることが出来ない。過去の実際の飢餓を調べてみると、その国や地域全体を見れば食べ物はあるのに、貧困や、制度や、一部の人の貪欲さのせいで、食べ物を必要とする人に食べ物が行き渡らないという問題がほとんどなのである。食料が不足しても、政府や民間団体が何か対策を取ったり、彼らの収入を安定させることが出来れば、飢餓を防ぐことが出来るのである。

日本ではフードロスの問題が深刻である。年間500万トン以上の食べ物を廃棄している。日本に住む全ての人が、毎日おにぎり1個分ずつ捨てている計算になる。有り余るほどの食料があるのだから、日本においては、食糧危機は起こらないのではないかと考える人もいるかも知れないが、実はそうとも言えない。子ども食堂が全国に数多くあるように、7人に1人の子どもが貧困で食事に困っている。「相対的貧困層の飢餓」と呼ばれる問題である。厚労省の発表によると、日本の2021年の相対的貧困率は15.4%。なんと先進国の中では最悪の数字である。その中でも、ひとり親世帯の貧困率は44.5%となっていて、とても厳しい現実がそこにある。

私たちは毎週礼拝の中で、「わたしたちに必要な糧を今日与えてください。」マタイ6:11と祈る。この「わたしたち」とは誰のことか。自分の家族のことか、自分の教会のメンバーのことか。いいえ、世界中の全ての人のことではないか。全ての人は、神が造られた人間として、どこにいても、誰であっても、神の御前に等しく高価で尊い存在である。神の愛が及ばない人など、この世に一人もいない。だから、私たちが毎週「主の祈り」を捧げる時、世界中の全ての人に「必要な糧を今日与えてください」と祈り、自分に出来ることを身近なところから始めていきたい。