25年前に新会堂を建設するに当たって作成した「上尾キリスト教会が求めてきた教会像」の中に、「私たちの教会の第一の使命は、地域に開かれた教会として、イエス・キリストの福音を宣べ伝えることです。」と記した。「キリストの福音を宣べ伝える」とは何か。それは主が語られた「捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げる」ルカ4:18ことである。
この福音の中心となる言葉は、「解放」と「自由」である。この「解放」と「自由」は、他の箇所では「赦し」とも訳される。それは政治的な抑圧や言論の抑圧、又、民族差別や性差別など、様々な抑圧や差別のことである。つまり「解放」とは、他者から受けた圧迫からの解放であり、「赦し」とは、自分の犯した罪から解放されることである。そしてこの主の宣言は、私たちも「解放」され、「赦し」が与えられ、そして「自由」になるという私たち一人一人への呼びかけである。主によって私たちは、私たちを捕え、束縛しているものから自由になれる。主の福音こそ、主によってもたらされる救いの中心であるので、この宣言を聴くだけでなく、受け入れることが大事である。
主を信じてその救いに与るとは、何らかの道徳律や祭儀的な掟を守って生きる者になることではない。むしろ、あらゆる束縛から解放されて、自由に生きる者となることである。「この聖書の言葉は、今日、あなた方が耳にした時、実現した」ルカ4:21と主は言われた。「今日、あなた方が耳にした時」という言葉は、今日、私たちがこの主の宣言を耳で聞き、主こそ私たちに解放と自由を与えてくださる救い主であると信じ、その信仰を言い表す時に実現する。主が宣言してくださった解放と自由が私たちに実現し、私たちが生きている今この時が、「主の恵みの年」となる。
私たちは様々な恐れに捕えられ、不安にかられて見つめるべきものを見つめることができなくなり、様々なこの世の力によって圧迫されている。しかしそのような私たちの下に、神は独り子イエスを遣わしてくださり、福音を告げ知らせ、主による解放と自由とを実現してくださり、主の恵みの年を告げてくださった。だからこそ、勇気をもって歩み出せる。今、解放と赦しと自由を求めて、助けを必要としている人々が沢山いる。教会が一人一人を受け入れる受け皿となる意義は益々深まっている。私たちも救い主を仰ぎながら、主と共に教会を通して解放と赦しと自由を宣言する業に参与していきたい。それが「上尾キリスト教会が求めてきた教会像」である。