旧会堂時代、会堂の土地が与えられるように祈り合った。しかし、なかなかふさわしい土地は見つからなかった。もうダメかと思うことも何度となくあった。しかし、祈り会に出席していた子ども達は、「教会が大きくなるように」と毎回祈っていた。その祈りに励まされるように、大人達も祈ったことを思い出す。その祈りが聞かれて、26年前にこの土地が与えられ、会堂が建った。その時、すばらしい神の御業に感動し、祈りは聞かれるということを、子ども達と一緒に経験することができた。
神との対話とは、聖書を通して神が私たちに語りかけ、祈りを通して私たちが神に語りかけることである。その対話を、豊かなものにするために祈り会がある。独りでは神との対話は消えてしまいやすい。しかし、一緒に聖書を読み、祈りの課題を出して、祈り合うことによって、信仰が燃やされ、神とのつながりだけではなく、他者とのつながりをも感じることができる。一緒に祈ってくださる人達がいることを感じて、励まされ、支えられるという経験をすることができる。
主は、「はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」マタイ18:19-20と言われた。「二人が地上で心を一つにして求めるなら」の「心を一つに」という言葉は、シンフォニー(交響曲)と関りがある言葉で、「共に響かせる」という意味の言葉である。すなわち、二人が集まって祈ることは、心を一つにして神への祈りを響かせることである。そうすれば、「わたしの天の父はそれをかなえてくださる。」と言うのである。
私たちは、祈りがなかなかかなえられないと思うことはないか。いじめや差別、
戦争や飢餓などが一日も早くなくなるように祈っても、この社会(世界)からなくならない。病気で苦しんでいる人が癒されるように、又、主を信じる人が起こされるように祈っても、その結果はなかなか現れない。しかし、心を一つにして神への祈りを響かせることを諦めてはならない。聖歌隊やトーンチャイムの練習と同じで、15分でも祈り合っていくうちに、シンフォニーが生まれ、私たちの祈りを神がかなえてくださると確信することができるだろう。新たに始めた「子どもと共なる祈り会」に、「わたしもその中にいるのである。」と主は言われる。一緒に主を賛美し、御言葉を聴き、祈り合う15分の「子どもと共なる祈り会」に、主と共に参加してみませんか。

