「葬儀に関する希望」を遺したい

最近、お二人の方が主の御許に召された。一人は、連合の中で交わりのあった方で、オルガニストとして教会によく仕えておられた。しかし残念なことに、教会はその方の訃報を火葬後に知ることとなり、教会員は最期のお別れができなくて悲しかったと伺った。本人も「葬儀に関する希望」を家族にも教会にも伝えていなかったので、家族がクリスチャンでない場合、起こり得ることである。

もう一人は、先週、主の御許に召されたMさんである。Mさんは「葬儀に関する希望」をいち早く教会に提出しておられたので、本人の希望に沿う形で葬儀を行うことができた。どこで葬儀を行い、愛唱聖句・愛唱賛美歌は何か、誰に偲ぶ言葉を依頼してほしいか、どこの墓地に入りたいか、克明に遺してくださったので、ご遺族も葬儀の打ち合わせの時に、その「葬儀に関する希望」を見て、「これに沿ってお願いしたい」と納得された。

死は、突然訪れるものである。自分の最期を迎える準備をしておくと、より良い最期を迎えられる。本人が「葬儀に関する希望」を遺しておくと、それに沿って葬儀の準備ができ、その人の信仰を証する葬儀となる。葬儀は、時間との闘いである。牧師は、危篤との連絡を受けて、夜中でも駆けつけ、祈りを捧げる。そして召された時は、すぐに葬儀社に連絡を入れ、搬送先を決め、火葬場を押えてから(夜中でも予約できる)、葬儀の日程を決める。最短では2日後の葬儀になるので、その時に「葬儀に関する希望」が遺されていれば、どれほど助かることか。出来るだけ本人の在りし日の信仰の姿を葬儀で紹介したいので、説教の中に取り入れることができる。又、教会に残されている証なども探し出して、あれば葬儀でお配りできる。そして、式次第に反映することができる。家族は、本人がどれほど豊かな信仰生活を送っていたか知らないことが多いので、本人の証を通してどんなに慰められるだろうか。葬儀を通して、信仰に導かれる方も多く、葬儀は、最大の証の機会と言える。

「葬儀に関する希望」を何度となく勧めてきたが、提出してくださる方が少ないのは、まだ自分は大丈夫と思うからではないか。しかし、危篤になってからでは、「葬儀に関する希望」を提出することは難しい。少しでも元気な時に、自分がどんな最期の時を迎えたいのか、「葬儀に関する希望」として遺せたら、幸いである。

「お前は自分の神と出会う備えをせよ。」アモス4:12