カルトとは「ゆがんだ支配構造」

旧統一協会を始めとするカルト宗教の問題が社会的に大きな関心を集めている。カルト宗教の被害を受け、苦しんでいる方々の救済のために、カルト宗教の問題は、社会にとって喫緊の課題の一つである。では、カルトとは何か。夏期講座の講師である齋藤篤先生は、カルトとは「ゆがんだ支配構造によって本来人間に備わるべき人権を奪い、さまざまな弊害をもたらす状態」のことだと説明している。即ち、「人権を奪うような行為」のことである。人権とは、人間らしく生きていく権利のことで、憲法によって保障されている。この基本的人権を侵害するものが、カルトである。

 人権の最も大切な要素の一つが「自由」である。例えば、憲法第20条では基本的人権の一つとして「信教の自由」が保証されている。この信教の自由には、「信じる自由」と共に「信じない自由」も含まれている。カルトは、私たちが生きる上で根本的に重要な、この自由を奪おうとするものである。その手法が、マインド・コントロールで、本人も気づかないうちに、心や行動がその団体・組織によって操作され、多額の献金を促されてきた。このように、個々人の自由と主体性を奪い、経済的・肉体的・精神的に著しい負担・苦痛を与え続けることは人権侵害である。

旧統一協会の問題への関心の高まりと共に、宗教2世の苦しみにも焦点があてられるようになった。旧統一協会2世だけではなく、エホバの証人2世も声を上げ始めている。家族であっても、それぞれは独立した人格である。自分が何を信じるか、信じないか、自分がどう生きるかは、最終的に自分自身で決めるべきことである。

カルト化は、どの教会においても起こり得る。又、カルト化は、宗教団体においてだけではなく、私たちの日常生活のあらゆる場面において起こり得る。家族間、友人間でも起こり得る。カルトとは「ゆがんだ支配構造」であるから、一方が一方を支配し、その自由を奪い、絶対服従するようにコントロールし、経済的・肉体的・精神的に著しい負担や苦痛を強いるならば、それはカルト化した状態にあると言える。

「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」ヨハネ8:32。私たちにとって本当に大切な教えは、私たちを縛り付けて不自由にさせるものではなく、むしろ私たちを自由にしてくれるものである。この自由は、主を通して与えられるものである。即ち、主は私たちを「支配された状態」からも、「支配した状態」からも解放してくださる方である。主は、私たちが自ら、真理の道を歩むよう願っている。