もし、ある日突然自分の住む町にミサイル基地ができたら、もし、ある日突然自分の家の前に弾薬庫ができたら、私たちは安心して生活ができるだろうか。きっと、不安と恐れで夜も眠れなくなるのではないか。
先日、宮古島に行って、そのような現実が島民の皆さんに起きていることに気づかされた。今、台湾有事を想定して、防衛省は南西諸島(与那国島、石垣島、宮古島、奄美大島)に自衛隊の基地を作り、米軍と一体となって軍事訓練を行っている。
宮古島には、約5年前から、千代田にミサイル基地が、野原にレーダー基地が、保良に弾薬庫が作られ、サンゴ礁に囲まれて自然豊かな島が軍事要塞化の島に一変した。宮古島の人々が神聖な場所として拝んでいた「ウタキ」が、ミサイル基地の中にあることによって、自由に拝みに行くこともできなくなった。又、自衛隊員が宮古神社に制服を着用し、公用車を用いて参拝し、隊員の戦意高揚をはかる公式参拝が行われたことは、戦前からの「靖国思想」が継承されている恐ろしさを感じた。
ミサイル基地内には、トラックに載せられた地対艦・地対空ミサイルが何台も見うけられた。その基地の前で、農業を営んでおられる中里さんは、メロンを作るかたわら基地反対ののぼりを立てて抗議しておられた。又、弾薬庫のある保良の基地の前では、下地さん夫妻がダンプカーの前に立ちはだかって、工事を遅らせようと抗議しておられた。下地さんの家は、弾薬庫からわずか200mしか離れておらず、万一の際、弾薬庫が爆破されたら逃げる時間はない。「日本政府は、いざ有事となれば、全島民を島外に避難させる方針だと言うが、私たち保良の集落の住民は真っ先に犠牲にされるのです」と下地さんは言われ、平和の島を取り戻したいために、平日毎日基地の前で抗議行動を続けておられた。その姿に、頭が下がる思いがした。
宮古島は山も川もないので、水源は地下水だけ。その地下水が基地があることによって汚染されていくのではないかと心配はつきない。
ガイドしてくださった上里さんが、「沖縄は琉球王国時代から、中国に攻められたことは一度もありません。むしろ、薩摩藩に、又、日本政府に攻められ、琉球処分されたのです。そして沖縄戦では、日本軍は住民を守らなかったのです」という言葉が響いた。再び、沖縄の人々を捨て石にしてはならない、むしろ島民が必要としているのは「ミサイルよりも、おむすびを!」と、私たちも抗議の声を上げたい。
「わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」使徒言行録4:20