互いに支え合い、協力し合う

聖書固有の言葉の一つとして、「使徒」という言葉がある。元々は、「使命をもって遣わされた者」という意味で、主によって選ばれ、召命を受けた12使徒を指す。その12人はみんな男性だった。しかし、主の弟子は男性だけであったかというとそうではない。主の弟子として、その福音を伝える旅に同行していたのは、12弟子の他に、マグダラのマリア、ヨハンナ、スザンナをはじめ、多くの女性の弟子がいた。

主の宣教の旅においては、性別を問うことなく、共に支え合い、協力し合っていた。けれども、教会が誕生し、その組織が整えられ、確立されていくに従って、主要な役職は男性だけが担うようになった。監督(司教)・長老(司祭)・執事(助祭)からなる聖職位階制は男性のみによって担われ、女性はそれらの役割から排除されていった。主に倣って男性中心的な在り方から脱却していくどころか、むしろ男性中心的な在り方「教会の父権制化」をより強化していった歴史がある。

性別ではなく、神に愛されている同じ一人の人間として、同じ思いを抱き、互いに支え合い、協力し合うことの大切さを思う。これらのことを踏まえて、私たちは改めて、現在の私たちの社会、私たちの教会について考えてみる必要がある。私たちが生きる日本の社会は、依然として、ジェンダーによる差別や不平等が存在している。「ジェンダーギャップ指数」では、日本は世界146か国中125位と低い順位となっている。それは私たち教会も同様である。教会の中にも食事を作るのは女性会という性別役割分担があるのではないか。私たちは教会の組織の在り方や相互の関係性について、共に考えていくことが求められている。その際、主の活動の在り方、初期の教会の活動の在り方を学ぶことは大切なヒントになる。主と出会い直すこと、それは、私たちが自分自身と新たに出会い直すことにもつながる。

私たちが目の前にある差別や不平等、内外にある様々な抑圧や排除に意識を向け、それらの問題に一つひとつ取り組んでいくことができるように、そして、一人ひとりが個人として尊重され、平等な社会を目指して共に歩んでいくことができるように、私たちが性別や属性で人を判断することなく、神に愛されているかけがえのない一人ひとりとして、賜物を活かし、互いに支え合い、協力し合っていくことができるように、祈りを合わせたい。「キリストに結ばれたあなたがたは皆・・・男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」ガラテヤ3:27-28