命(ぬち)どぅ宝の日を迎えて

本日6月23日は、「沖縄慰霊の日」(「命(ぬち)どぅ宝の日」である。79年前、20万人もの戦死者を出した沖縄での組織的戦闘が、牛島司令官の自決によって終了した日とされる(実際はその後も戦闘は続き、9月7日にアメリカ軍に降伏し、沖縄戦が終わった)。沖縄戦は、日本の本土防衛、国体護持の時間稼ぎのために、いわば「捨て石」作戦として戦われた。10代半ばの少年少女までが、強制的に日本軍に組み込まれ、尊い命を失った。又、我が国では唯一、住民を巻き込んでの地上戦が行われた。しかし、私たち本土(ヤマト)の人間がどれだけこの歴史を正しく知り、沖縄の人々の痛みを認識しているだろうか。そのことが、今の沖縄の基地問題に、他人事のような態度をとっているように見えることにつながっていると思う。

日米安保条約に基づく米軍基地の70%が、国土面積の0.6%に過ぎない沖縄に偏在し、普天間基地に代わる基地建設が、沖縄県民の意思を無視して辺野古で進められている。戦争で犠牲になった方々の遺骨を土砂と一緒にほじくり返し、もう一度基地を作るために海に投げ入れ、痛めつけようとしている。それは人として、余りにも道を外れている。又、辺野古・大浦湾の海域には、約5千種の生物が生息していると言われる。その被造物の命をも脅かす基地建設は、断じて許すことはできない。

私たちの知らない間に、琉球(りゅうきゅう)()の島々・・与那国島、宮古島、石垣島、そして沖縄本島に、自衛隊のレーダー基地、ミサイル基地、弾薬庫、巨大な港や滑走路が作られている。「台湾有事」に備えて、基地の島としての軍事要塞化が進められている。当然の事として、琉球弧の人々の生活は破壊され、生命の危険度は増し続けている。 政府は、いざ「有事」となれば、全島民を九州に避難させる方針だと言うが、そのような大規模な避難を迅速に実施するのは不可能である。

武力によっては決して平和は実現しない。そして、他者の犠牲の上に成り立つ平和などは、本当の平和ではない。だから、沖縄を再び戦場(いくさば)にしてはならない。「彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。」イザヤ2:4。聖書は、戦争をするため、人を殺すための道具である「剣と槍」を、平和を作り出す道具である「鋤と鎌」に変えるように戒める。岡田有右先生が、「1発10億円の巡航ミサイルトマホークの購入よりも、明日への希望をつなぐ今日一個のお結びが必要だ。」と書いておられたが、基地のない平和な沖縄になるように、祈りを合わせたい。