クリスマスの賛美歌の中には、「平和」を歌うものが幾つもある。主の降誕の知らせを羊飼いたちに告げた天使に、天の軍勢が加わって、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」ルカ2:14と神を賛美したことは有名である。
「いと高きところ(天)には栄光」は、神の性質を表わす極めて重要な言葉である。神は天で光に満ちて溢れ、栄光に輝く存在として表現されている。又、「地には平和」は、神と人間の関係、人と人との関係を表わす極めて重要な言葉である。平和とは、食べ物や着る物や住まいが与えられ、基本的人権が守られることであり、人と人の間に争いがなく、民族や国の間に戦争がないということである。それと同時に、「平和」という言葉は「平安」という意味をも表す。すなわち、心の内側に「不安」ではなく、「平安」があって、人と人の間に「平和」な関係が築かれていくことである。
私たちはこの地に、平和を求めているのに、平和が実現しないことに、深い悲しみと憤りを感じているのではないか。ミャンマーやガザ、香港では市民が弾圧され、ウクライナではロシアの侵攻を受け、アフガニスタンでは女性や子どもの人権が抑圧されている。それ以外の国々でも、人権や命が踏みにじられている。国内でも、沖縄においては、軍事基地が県民の反対を押し切って、次々と建設されている。それは辺野古新基地だけではない。南西諸島(奄美大島、宮古島、石垣島、与那国島など)に自衛隊のミサイル基地が作られ、島民の住居から200mしか離れていない所に弾薬庫が作られている。もし有事になれば、米軍基地が集中する沖縄島や自衛隊の基地のある南西諸島の島々は真っ先に標的になると、島民は恐れている。
では、この地にどうしたら平和が築かれるのか。この天使の賛美は、天における神の栄光と、地における人間の平和とは、その関係において不可分であることを語る。つまり、地の平和は私たち人間の努力によって打ち立てられるものではなくて、天の神の栄光によってこそ実現するのである。神の栄光、神の愛こそが、この地に平和をもたらすのである。主がこの地上にお生まれになったのは、罪の支配下にある私たちに、神の栄光を現し、その栄光の力によって救いを与え、私たちに本当の平和をもたらすためであった。主は、天の栄光と地の平和とを結びつける唯一のお方である。「御心に適う人にあれ」とは、主イエスを「平和の君」イザヤ9:5として心にお迎えする人である。まず自らの心に、主の平和を築くことから始めていきたい。

