宣教題:『弱さに働くキリストの力』    

聖書箇所:Ⅱコリント12章1~10節

森 淳一(高崎キリスト教会牧師)

 *はじめに(ご挨拶)

 本日は、きたかん相互訪問プログラムで、上尾教会の礼拝に出席させていただき、ありがとうございます。上尾教会の皆さまとのお交わりが豊かなものとなりますように、お祈りします。相互訪問の恵みは幾つもあると思います。その一つは、お互いの教会の牧師だけが行き来する、いわゆる「交換講壇」と呼ばれる企画ではなく、複数の教会員が参加するプログラムであるということです。お互いの教会をよく知るためには、一人ではなく多くの人たちの交わりが大切です。イエスさまを証しする高崎教会のチームとして、上尾教会を訪問できますことは感謝です。さらに、相互訪問の恵みは「自分」を知る機会が与えられることです。他者と交わるとき、人は改めて自分を見つめ直します。これまでの相互訪問の経験からも、他の教会に行くことで自らの教会を振り返り、新たな気づきを与えられてきました。今日、またどのような出会いが与えられるのか?…、楽しみです。また7月には上尾教会の皆さまを、高崎教会にお迎えする予定です。そちらもぜひ、よろしくお願いします。

*主からパウロに示されたこと

 現在、高崎教会の主日礼拝宣教(説教)では、『聖書教育』のプログラムに合わせて聖書を読んでいます。4月から6月まで「コリントの信徒への手紙」を読んできましたが、今朝、上尾教会の礼拝でも同じ手紙を取り上げさせていただきました。パウロはコリント教会の人たちに、主なる神さまから「弱さを誇る」という生き方を示されたことを語ります。それは初めパウロ自身にとっても思いも寄らないことでした。私たちにとっても、そのような人の生き方を願う人は、おそらく誰もいないのではないかと思います。なぜパウロは神さまから、「弱さを誇る」という人の生き方を求められたのでしょうか。

*弱さに働くキリストの力

 パウロは「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(12:9)と書いています。まず、ここに書かれている「キリストの力」とはどのようなものなのか、宣教の準備をしながら思い巡らしています。そして、パウロの時代もそうだったでしょう。また、今の時代もそうでしょう。「もっと強くなりたい。もっと強くなりなさい」、そうした声ばかりが聞こえてくるような世界の中で、“弱くあること”、そうした人の生き方が、なぜ大切なのか? ご一緒に考えたいと思います。