現代は、「自分にはどこにも居場所がない」と悩んでいる人が大勢いる。学校や職場、そして家庭‥・どこで誰と接していても、自分が居心地のいい場所だとは思えない。どこかよそよそしく、落ち着かない。 居場所がなければ、心から休まる瞬間が得られない。「自分の居場所」がないことほど辛いことはない。だから、人は自分の居場所を探し、自分の存在を受け止めてもらえる場所を求めて生きている。「あなたは大事な存在なのだ」と、ありのままを受け入れてくれる、そんな居場所を求めている。誰でも人間が人間として生きていくには、「自分の居場所」が必要である。
聖書を読むと、主イエスは「居場所のない人」だったことがわかる。ローマ皇帝の人口調査の勅令のために、マリアとヨセフはベツレヘムに旅をしなければならなかった。その上、ベツレヘムに来てみると、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」ルカ2:7。更に、ヘロデ王の迫害を恐れて、エジプトへ避難しなければならなかった。イエスは「ホームレス」となり、「難民」となった。「あなたはここに居るべきではない」と、誰からも迎え入れてもらえず、はじき出され、追い出された。
そんなイエスだからこそ、クリスマスの意義を豊かに示してくれている。なぜなら、同じように自分の居場所を失っている人の友となるために、「あなたはここに居ていいのだ」「あなたにここに居てほしい」と願って、イエスは馬小屋で生まれ「飼い葉桶」の中に寝かされた。居場所を失い痛みを抱えた人が、そんなイエスに出会う中で、「私と共に生きてくれる人がいる」と、人生を回復することができるのである。
私たちも、イエスに倣って、「居場所のない人」のために生きることが求められている。イエスにこそ、私たちの人生の居場所があると、周りの人々に伝えるクリスマスにしたい。「ここにはあなたの居場所がある」と、上尾教会のクリスマスにお誘いして、「飼い葉桶」の主イエスに出会う喜びを一緒に味わいたい。
光が地上を見下ろすと あたり一面やみだった 「あそこに行こう」と光は言った
平和が地上を見下ろすと 戦争が目にとまった 「あそこに行こう」と平和は言った
愛が地上を見下ろすと 憎悪が目に映った 「あそこに行こう」と愛は言った
こうして光は地上に現れ 暗やみを追い払った こうして平和は地上に現れ 戦争をやめさせた こうして愛は地上に現れ いのちがもたらされた そして「言は肉となって、私たちの間に宿られた」のである。 ジョゼッペ・ペッレグリーノ 『光が地上を見下ろすと』

