御言葉が「馬の耳に念仏」にならぬように

今年は午年(馬)。馬は聖書の中で146回も記されている。そして、その箇所の殆どは戦争に関係している。「エジプト軍は彼らを追い、ファラオの馬、戦車、騎兵がことごとく彼らに従って海の中に入って来た。 」出エジプト14:23とあり、ユダヤ人を追いつめたのは馬に乗ったエジプト軍の騎兵だった。又、黙示録6章に出てくる白い・赤い・黒い・青白い馬は、神の裁きとそれがもたらす戦争を意味している。馬は古来より戦争のための機動力として使われた、いわば戦いの道具なのである。

 旧約聖書には129回記されており、創世記からエステル記までが61回、ヨブ記から雅歌までが10回、イザヤ書からマラキ書までが58回、旧約聖書にはほぼ万遍なく出てくる。新約聖書では、マタイによる福音書からユダの手紙まではわずかに2回、ヨハネの黙示録は15回である。この部分は、主が地上におられた時代から初代教会の時代までで、「霊の戦いの時代」だと言える。

主はエルサレムに入城される時、ろばの子に乗られた。本来は真実の王として馬に乗るべきお方だった。事実、主は将来、「見よ、白い馬が現れた。それに乗っている方は、『誠実』および『真実』と呼ばれて、正義をもって裁き、また戦われる。」黙示録19:11、方として白い馬に乗られる。主は救い主として、人間の罪を担って十字架にかかるためにこの世に来られた。「今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」Ⅱコリント6:2と言われ、まさに「霊の戦いの時代」に、主が救いを成就してくださったのである。

ところで、新約聖書のヨハネの黙示録以外で出てくる二カ所の馬から、初代教会の時代におけるクリスチャンのあり方を教えられる。一つは、「また、馬を用意し、パウロを乗せて、総督フェリクスのもとへ無事に護送するように命じ」使徒言行録23:24とパウロは主を宣べ伝えるために、馬に乗ってローマまで行った。ユダヤ人たちは彼を殺そうとつけ狙ったが、パウロは恐れることなく忠実に証しを立てた。もう一つは、「馬を御するには、口にくつわをはめれば、その体全体を意のままに動かすことができます。」ヤコブ3:3と人は言葉で失敗することが多く、クリスチャンも例外ではない。ですから、私たちは謙遜になって、主に頼りつつ良い生き方をすべきである。

「霊の戦いの時代」に、主を信じる私たちの成すべきことは、大胆に福音を宣べ伝え、また良い生き方をして「地の塩」「世の光」となることである。今年は御言葉が「馬の耳に念仏」「馬耳東風」にならぬように、御言葉を聴いて行う人になろう!