6月23日は沖縄「慰霊の日」(「沖縄〈命どぅ宝〉の日」)、沖縄戦の組織的戦闘が終わった日とされている。あれから80年の年月が流れた。
1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、北緯29度以南の沖縄の島々(南西諸島)を日本から切り離すことによって「本土」は独立を回復した。沖縄は「日本」から切り離され、27年間にわたりアメリカ占領軍の統治下におかれ、過酷な歩みを強いられた。米軍占領の中、「銃剣とブルドーザー」により住民の土地が強奪され、米軍基地が造られていった。最悪な米軍支配の中、沖縄県民は日本の平和憲法に期待した。「日本」に復帰すれば「日本」と同じように米軍基地は減少する。二度と戦争はしない。人権なき沖縄県民の怒りは、平和憲法をもつ日本への復帰運動につながった。1952年5月15日、沖縄は日本復帰を果たした。
しかし、米軍が沖縄を占領中、「本土」では住民の反対運動により「本土」の米軍基地が沖縄に移された。日本の0.6%に当たる沖縄の土地に、在日米軍基地の70%以上が集中している。基地ゆえの事件事故、性暴力、環境破壊は、今も変わらず続いている。
辺野古の海に新基地建設が強行されてから27年。世界遺産の山原(やんばる)の森に連なり、多種多様な生物が生息する自然豊かな大浦湾に、埋立ての土砂が投入され続けている。土砂は沖縄島の本部(もとぶ)半島や大宜味村、宮城島から運ばれ、幾つもの山が姿を消し風景が一変した。更に、沖縄島南部からも土砂を採取しようとしている。南部は沖縄戦の激戦地で、多くの死者の遺骨が今も眠っている。その遺骨を再び海の底に沈め、戦争の道具に用いようとする。戦争の犠牲者を、戦争に消費する。そんな政府の暴力に対して、沖縄県民は悲しみと抗議の声を挙げている。
更に復帰後、自衛隊基地が造設され、沖縄の島々にミサイル配備・弾薬庫の建設がなされている。沖縄戦から80年、沖縄の島々は軍事要塞化され、再び戦場(いくさば)にされようとしている。沖縄の島々では避難(疎開)訓練が始まり、人々は、故郷を追われようとしている。あの戦場の再来に、県民は恐れと不安を抱いている。
私たちは、沖縄の声に無関心であってはならない。水曜日夜の「沖縄命どぅ宝祈祷会」(Zoom)に出席して、沖縄からの声に耳を傾け、共に祈りを捧げたい。
「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。」ヘブライ12:14