大事を成そうとして 力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと 弱さを授かった
より偉大なことができるように 健康を求めたのに
よりよきことができるようにと 病弱を与えられた
幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして 権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと 弱さを授かった
人生を享楽しようと あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにと 生命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは すべてかなえられた
私はあらゆる人々の中で 最も豊かに祝福されたのだ
~ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれた一患者の詩~
この祈りは、パウロが肉体のとげ(病)を取り除いてくださいと祈ったにもかかわらず、それは取り除かれず、逆にその痛みを背負う中で、主が、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」Ⅱコリント12:9と言われたことを思い起こさせる。その主の言葉によって、パウロは、「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」という信仰の告白が与えられた。弱さを卑下するのではなく、弱さを誇れるとは、何と幸いなことだろうか。
私たちも病で苦しむことがあるが、そんな私たちにも主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。」と語りかけてくださっている。この御言葉を聞きながら生きることによって、私たちも自分の弱さや苦しみの中で、むしろ喜びと感謝、平安と希望をもって、「わたしは弱いときにこそ強い」という人生を歩むことができるのである。