聖霊が今、上尾教会にも豊かに働いてくださる

本日、ペンテコステ(聖霊降臨日)を迎えた。この日に起った出来事は、今日の教会にも大きな意味を持っている。それは、神が聖霊の力によって生まれた教会を通して、どんなに豊かな恵みの御業を繰り広げてくださるか、この日の出来事に凝縮して示されている。少子高齢化が進み、宣教の厳しい時代を迎えている今日の教会にも、神が教会を用いて実現してくださる恵みの豊かさを知ることができる。

私たちは、聖霊を受けた弟子たちに起ったことの本質をしっかりと捉えておく必要がある。それは、彼らが「神の偉大な業」を語り出したことである。その「神の偉大な業」は、主イエス・キリストによってもたらされる救いである。神の独り子イエス・キリストは、この世に遣わされ、私たちの全ての罪を赦すために十字架で贖いの死を遂げてくださった。そして三日目に復活することによって、私たちにも、死に打ち勝つ復活の命(永遠の命)を与えてくださった。この主においてなされた神の偉大な救いの御業を、弟子たちは聖霊を受けることによって大胆に語り出した。

そして、その言葉を人々に理解させ、「神の偉大な業」が語られていると分からせてくださるのも聖霊の働きである。聖霊は、語る者にも聞く者にも働く。それによって、主の喜ばしい福音が、伝えられ、受け取られる。教会が生まれたということは、そのような聖霊の働きが開始されたということである。どんな言葉、どんな説教を聞いても、聖霊の働きがなければ、主の福音は伝わらない。しかし聖霊が働いてくださるなら、人間的などんな違いも問題ではない。言葉や文化や生活習慣がどんなに違っていても、その違いは乗り越えられて、神の偉大な業が伝わっていく。

教会は、この聖霊の働きによって生まれ、今も聖霊の働きによって歩んでいる。主の晩餐式の折に、『教会の約束』として、「教会は人によって成ったものではなく、神によって成ったものと信じます。」と唱えるように、人間の力や努力に頼るのではなく、聖霊の働きにより頼むことである。私たちは、聖霊の力を頂いて神の偉大な救いの御業を語る者とされることを、祈り求めていきたい。私たち一人ひとりがそれを願い求めて祈りを合わせていくところに、生き生きとした喜びの福音が伝えられて行くだろう。ペンテコステの出来事をしっかりと見つめて、その聖霊の働きが今、上尾教会にも豊かに働いてくださることを信じて祈り求めていきたい。「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」使徒言行録2:4