今年から礼拝の宣教は、「使徒言行録」を取り上げることにした。ルカが主イエスの生涯と教えを記した「ルカによる福音書」を第一巻とするなら、使徒たちが主の福音を伝えるために活躍した「使徒言行録」は第二巻にあたる。「使徒言行録」が別名「聖霊言行録」とも言われるのは、実は、使徒たちが主人公なのではなく、聖霊が主人公であるからだ。使徒言行録は、使徒たちの素晴らしい働きを記した記録ではなく、聖霊なる神が、弱い使徒たちを用いて働かれたという記録なのである。
「使徒言行録」を読むと、聖霊の働きがいかに大きく、顕著であったかがわかる。ペンテコステの日に使徒たちの上に聖霊が降ると、使徒たちは力強く福音を語り出し、その日だけで3千人もバプテスマを受け、教会が誕生した。そして、福音がユダヤ、サマリアの全土はもとより、ヨーロッパにまで広がり、異邦人伝道が中心となっていく。世界宣教の幕開けが、使徒言行録には克明に記されている。
聖霊の働きを経験した使徒たちの変化に驚く。宗教的な権力者から黙っているように圧力をかけられる中で、聖霊に満たされたペトロとヨハネは「大胆に」神の言葉を語り出した。ステファノは聖霊に満たされ、死に至る直前まで主を証した。フィリポは聖霊に導かれ、エチオピアの高官の馬車に乗り移って、主の救いを手引きをした。「使徒言行録」に何度も出てくる「大胆に」とは、主のことを恐れずに自由に語ることを表す。恐れと悪しき支配から解放されて、主について自分が確信したことを自由に話し出した。その大胆さを、使徒たちは聖霊を通して与えられた。
聖霊の働きがなければ、使徒たちの働きも、世界宣教の働きも、私たちが主を信じることもなかった。ところが、現代は宣教の働きが停滞し、教会の衰退は進み、信徒は減少している。「使徒言行録」に記される聖霊の働きは、終わってしまったのではないかと思う人がいるかもしれない。しかし、聖霊は今も変わらずに働いている。「使徒言行録」は28章で終わっているが、29章を「私たちの言行録」の歩みとして付け加えることができる。「こうして上尾の地の宣教は、聖霊の働きによってますます広がり、主を愛する人々が増えていった」と締めくくれたら幸いである。なぜなら、聖霊は今も後も、私たちと共に、世の終わりまで働き続けているからだ。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。 わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」使徒言行録18:9-10