上尾教会では以前、2月3月を「スチュワードシップ月間」として同じテキスト「神の同労者」を読み合い、週報巻頭言や証を分担していた。テキストの各章では
「時間、からだ、賜物、献金…のスチュワードシップ」などを学ぶことができた。
今回テキストが見つからず、内容を調べようと“神の同労者”でネット検索の結果、ヒットしたのは【説教要約】2017/1/1神の同労者 …え、上尾キリスト教会?新年礼拝の説教?…よくよく見返すと上尾ではなく上馬キリスト教会(世田谷区)の間違いであった。「馬が西向きゃ尾は東」の諺は、全く違う方向を向く…の意味ではなく「非常に当たり前で、言うまでもないこと…」とAIが回答してくれた。
教会において当たり前のこと…どこの教会も十字架を正面に掲げ、会衆は十字架に向かい、十字架を通して神に向かって礼拝を行う…ことだろうか。神は主イエスの十字架を以て人々を罪から救い、私達は十字架を通して礼拝を捧げる事ができる。
Google翻訳ではSteward→執事/家令/家従…、Stewardship→管理責任と訳される。神は人間に多くの才能や豊かさと自由意志を下さり、時間、からだ、賜物、財、を管理する役割責任をお与えになった。スチュワードシップ月間の意味は、「神から受けた恵みを責任を持って管理し、恵みに応える生き方」…であると連盟他教会の週報にあった。恵みに応える…実践すべき第一歩は、日曜日に十字架の前で礼拝に集い、共に主を賛美し、メッセージを聴き、祈ることではないだろうか。
多くの働きと成果ではなく、まず聖書に書かれる「すべての人への救いの計画」に預かり、自分のできることをしてゆくことが、恵みに応える第一歩であると思う。
海外勤務していたころ、日本へ帰るフライトで、三宅島上空から機首を北に傾けエンジン音が小さくなり、成田空港へ降下開始するのが印象的だった。自身は先月晴れて「前期高齢者」に分類される身となった。幸い健康で、仕事も続けられそうだが、これからエンジン出力を少しずつ絞り、降下してゆくことになるのだろう。この世に生を受けた命はやがて必ず老い、生まれた時のように自らの力では何も 出来なくなり自然にまた天へと還ってゆく。母の晩年を見て感じた思いでもある。加齢による衰えを嘆くばかりでなく、齢とともに少しでもよき家令となれるよう、神の「救いの計画」に自らも預かり、また同労者として参与していきたいと思う。

