琉球は約450年間、独立した王国としてアジアと交易し、豊かな文化を育んできた。しかし1609年に薩摩が侵攻し支配が始まる。1879年には明治政府が「琉球処分」を行い、徹底した皇民化教育のもと沖縄は国内植民地として扱われた。
太平洋戦争では沖縄は「本土防衛の防波堤」とされ、住民の4人に1人が犠牲となった。沖縄戦は「軍隊は住民を守らない」「戦争では人間が人間でなくなる」という教訓を残した。1952年、サンフランシスコ講和条約により「本土」は独立を回復したが、沖縄は切り離され、27年間米軍統治下で過酷な生活を強いられた。2013年に政府が「主権回復の日」を祝った際、沖縄ではその日を「屈辱の日」と呼んだ。
米軍支配の中で沖縄県民は平和憲法に希望を託し、日本復帰を求めた。1972年に復帰したが、基地負担は軽減されず、むしろ自衛隊基地も増設されている。日本の0.6%の土地に在日米軍専用施設の70%以上が集中し、事件・事故・環境破壊は今も続く。「台湾有事」論が煽られる中、沖縄は再び戦場化の危機にある。
1995年の米兵による少女暴行事件を契機に県民の怒りが爆発し、普天間基地返還が発表されたが、条件として名護市辺野古への新基地建設が進められている。県民投票で7割が反対したにもかかわらず工事は強行され、軟弱地盤のため莫大な税金が投じられている。普天間は住民の土地を「銃剣とブルドーザー」で奪って造られた基地であり、老朽化したから新しい基地を造れというのは理不尽である。辺野古問題には、沖縄への差別と不条理が凝縮している。
沖縄と「本土」の間には深い海が横たわる。海底には撃沈された疎開船「対馬丸」に乗っていた子ども達の魂が眠り、声なき声をあげている。この海を断絶の海ではなく、命を結び平和を広げる海とするために、主の助けを求める。「命どぅ宝」。沖縄戦で失われたすべての命を悼み、二度と同じ道を歩まないことを誓いたい。詩編85編が語るように、慈しみとまこと、正義と平和が出会う世界を求めて祈り続けたい。
「わたしは神が宣言なさるのを聞きます。主は平和を宣言されます 御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に 彼らが愚かなふるまいに戻らないように。主を畏れる人に救いは近く 栄光はわたしたちの地にとどまるでしょう。慈しみとまことは出会い 正義と平和は口づけし まことは地から萌えいで 正義は天から注がれます。」詩編85:9-12

