平和への鍵は聖書にある     

私が生まれ育った国、韓国は世界で唯一休戦状態にある国です。自分が住んでいる国が戦争中だと思ったことも無いし、高校まで模型銃で訓練を受け、軍隊に行って他人に銃口を向けて軍事訓練をするのが当たり前だと教えられてきた私にとっては、大きなショックを受けた記憶があります。

1950年6月25日。朝鮮半島では3年間の戦争が勃発しました。その戦争が起こる5年前、当時、韓国は長い植民統治から独立し、国民の意思とは関係なく南の方はアメリカが支援する民主主義政権、北の方にはソ連が支援する共産主義政権に分割されました。強制的に38度線が作られ、明日からは誰も38度線の北へ、南へ自由に行けないと二つの強大国は自分勝手に線を引きました。愛する家族に会いに行くこともできなくなりました。その瞬間から一つだった国が二つの国になりました。兄弟の中でも民主主義と共産主義というイデオロギーで、兄は北へ、弟は南に分かれました。私はその戦争で私の父の兄弟の何人かが亡くなったという話を聞きながら育ちました。その戦争後71年が過ぎた今も38度線があり、お互いに家族と友たちに銃口を向けている国、それが韓国です。私は今になって、遠く私が生まれた国を見ると心が痛くなります。

「休戦」と「戦争中」という言葉は聞く人によって違うかもしれませんが、深い意味は同じです。それをどのように教えるかによって異なる意味になります。私は「休戦」という言葉は「戦争は終結」し、相互防衛をしていると教えられました。他人に向かって銃口を向ける行為は、「自分を守るために」という目的と、「自分が先に他人を害するために」銃口を向けることは異なることだと思うかもしれませんが、その行為は同じです。

最近の国際情勢は再びイデオロギーの時代に回帰しているようです。権力者、政治家たちは、自分たちが決定したことを正当化させるために、最も重要な意味は抜きにして、同じ意味の言葉を異なる表現で使用しながら、国民を惑わし、騙しています。

このような時代に私たちクリスチャンは、「隣人を自分のように愛しなさい。」と聖書の中に、正確に答えがあることを忘れないで欲しいです。他人を「慈しみ」の目で見て理解しようとする心があれば、他人に銃口を向けることも、戦争を正当化させるため、色々な「美辞麗句」を使って他人の考えを奪うこともできないです。聖書の中に、平和の道に向かう正確な答えがあることを世界中の人々が分かるように祈りませんか? 

「隣人を自分のように愛しなさい。 」マタイ22:39