主の平和に生きる         

この国家が自国とアジア諸国の人々を中心に惨禍をもたらした戦争に敗れてから79年、戦後16年目生まれの自分ですら”高齢者“の域が近くなった。私の父は生前何度か「戦争があと半年続いていたら、自分も特攻隊で命を落していただろう。」と話していた。話す親と聞く私の温度差はどれだけであったのだろうか…と今になって思う。母方の祖母の旧家には天井の一部だけ古さが異なり、聞けば焼夷弾(不発弾)の跡だと…、曾祖母は終戦前夜の空襲で亡くなったと聞いた。その時何歳だったのだろうか?。同じ尊さであるはずの一つの命が、生まれた時代、地域によって全く違う人生となってしまったのが歴史の事実である。

つい先日テレビに映った沖縄の鍾乳洞観光地を見て、8月に観た映画「丸木位里・丸木俊 沖縄戦の図 全14部」を思い出した。そこでは丸木夫妻の描いた二つの作品(読谷村チビチリガマ、シムクガマ)とその地の現在の光景が映し出されていた。一方では集団自決が起こり他方では人々が生き延びたという。別の場所であるが、年月が経過すれば観光地になる…のが人々の歴史である。小学生低学年の頃だろうか?友達と「安保、反対!」と遊んだ記憶がかすかに残る。その是非は考えものだが、民衆が声を発しなくなり、政治家は歴史から何も学ばずに自らを「タカ派」と称する者まで現れた。私個人の結論としては「神のないところに平和は無い。」の一言に尽きる。

この齢にして何を血迷ったか日本語教育の講座に通い、旧満州、朝鮮半島、台湾における日本語教育史の授業を受けるなかで、それがいかに偽善的な支配であったかを再認識した。余談だが世界の言語種は6,500以上あるそうだ。創世記11章の「こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。」が始まりであろうか。

通学で新宿を歩くたびに外国籍の方の多さを感じるが、そう感じるのは島国生まれかつ一定以上の古さの人だけかもしれない。今やほとんどの地域で人々も情報も国境を意識せず往来できる時代であり、国家という枠組みによる戦争が起こらない社会を切に願う。そのためにも、新約聖書に何度も書かれている「主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」という言葉を常に心に留め、また祈りたい。