パレスチナ人は9割以上がイスラム教徒だが、約1割のキリスト教徒がいる。例年、クリスマスイブは各地のキリスト教徒がベツレヘムに集結し、キリストの誕生を祝ってきた。しかし昨年のクリスマスは、「ガザで多くの人が殺害されている中、クリスマスを祝うわけにいかない」として、宗教行事以外のイベントは中止した。
福音ルーテル・クリスマス教会では、爆撃によって破壊されたことの象徴の積み重なったがれきの上に、幼子イエスの人形を置いたモニュメントを展示した。最初のクリスマスの出来事の生起したとされる場所で、クリスマスが祝えない、しかも生まれたばかりの幼子を寝かせる寝床は、「飼い葉桶」でなく、「がれき」なのである。ムンター・イサク牧師は、「ガザで虐殺が起きているのに、国際社会は沈黙を続けている。イエスの幼い頃と同様、ガザの子どもたちが厳しい状況に置かれていることを伝えたかった。もしイエスが今日生まれるとしたら、がれきの下のガザで生まれるだろう」と語っていた。
現在のガザは、幼子が無事に、安全に生まれることのできない場所と化している。もしイエスが今日生まれるとしたら、爆撃の中で寝かされるだろう。イスラエル占領軍による攻撃を止めることができないまま、大勢の子どもたちが今も殺され続けている。今日生まれるガザの子どもたちの中に、ローマ帝国の占領軍とその同盟国イスラエルのヘロデ王による圧政の時代に生まれた、あの日のイエスがいると思う。
クリスマス物語の中には、幼児虐殺の場面を記している。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」マタイ2:18。これはエレミヤ書からの言葉である。ここで述べられているのは、母親たちの悲痛な叫びである。母たちは子どもたちのことで泣き、もはや誰からも慰めてもらおうとはしない。愛する子どもたちがもういないからである。かつてエレミヤがラマで聴き取ったこの嘆き悲しみの声、このエレミヤの言葉を読む時、今ガザで起きていることを思い起こさずにはおられない。戦場と化しているガザのあちこちで、この激しく嘆き悲しむ声が湧き上がっている。
これ以上、子どもたちのかけがえのない命が傷つけられ、失われることのないように、戦争が一刻も早く停戦へと至るように、パレスチナの人々に対する虐殺が一刻も早く中止されるよう、心を合わせて祈りを捧げるクリスマスとしたい。