喜び・祈り・感謝!

この一年を振り返ると、なんと心が憂い、悲しい出来事が多かったことか。能登半島の地震と豪雨、闇バイト事件の続発、世界の各地で繰り広げられる戦争や紛争など、それによって多くの人々の生活が脅かされ、命が失われている。そんな中で、「被団協」の長きにわたる核廃絶の働きが認められ、ノーベル平和賞が授与されたことは嬉しいニュースであった。現在、12000発の核兵器が存在するが、一日も早く核兵器のない世界になるように、祈りを合わせていきたい。

聖書には、私たちがこの時代の中でどのように生きるべきか記されている。

「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」Ⅰテサロニケ5:16-18

きっと、こんなに苦しいことがあったから、どうしても喜べないという言う人もいるだろう。しかし、聖書は「いつも喜んでいなさい」と語る。悲しい時や悩んでいる時も喜ぶべきである。むしろ、問題のある時こそ喜びを持って歩めと、聖書は語る。それは主が十字架によって私たちの罪を贖い、復活によって永遠の命を与え、私たちに神の子とされる特権を与えてくださったからである。命ある限り、神の恵みが私たちに注がれ、たとえ地上の生活が終わろうとも、神の国に入れてくださることを心から感謝して受け止める時、いつも喜ぶことができるのである。

また、私たちは祈ることを通して、神の恵みを頂くことができる。主は弟子たちに「主の祈り」を教えた後、真夜中にパンを借りに来た友人の譬えを話され、「しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。」ルカ11:8と教えられた。「しつように頼めば」という言葉は、「厚かましく」とも訳せる。祈りは遠慮してはならない。祈りが叶えられるまで、いつでもどこでも諦めないで祈ることである。 私たちの人生にはたくさんの試練があり、なかなか感謝できないことがある。しかし、どんなに辛いことが起こっても、「試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」Ⅰコリント10:13と聖書は語る。神は、マイナスをプラスにしてくださる。苦しみに遭う時、その苦しみを通して神は私たちを成長させ、大いなる恵みを与えてくださる。「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。それにより 私はあなたのおきてを学びました。」詩篇119:71(新改訳2017)。苦しみにあったことを心から感謝して、それを幸せだと思えるような人生を送りたいと心から願う。