御年92歳の義理の母が、年末に右股関節置換手術をした。長年、右足の股関節が痛み我慢ができなくなり、義母は、覚悟を決めて手術に挑んだ。退院後1か月で、股関節の痛みはなく、ほとんど杖なしでも歩けるようになった。
50年ほど前のこと、私の祖母が、私の目前で思いきり滑って転んで大腿骨を骨折し、人工骨頭置換術を行った。そのような手術が日本でもまだ始まった最初の段階であった。彼女は亡くなるまで杖を離すことはなく、いつも、片方の手で杖を突きつつ、誰かが抱えてもう片方の杖となっていたのを思い出す。しかし、医学はかなり進歩し、患者の負担は減らされ、回復が非常に早くなった。
私は、このことに興味を覚え「骨」のことを調べてみた。人の体は、200以上の骨でできており、骨の役目は、身体の保持、姿勢の維持、各機関の保護の他、骨の組織は、血液中のカルシウムを取り込んで骨を作り、その一方で、できた骨は細胞が溶かしていき、骨の中にあったカルシウムは血液中に放出される。骨はたえず補修され、作り変えられている生きた組織である。大腿骨などの長い管状の骨のなかにある骨髄で、酸素や二酸化炭素を運ぶ赤血球、細菌やウイルスとたたかう免疫の主体となる白血球、けがをしたときに出血を止める血小板などが作られている。
手術後、義母は、右股関節の根元の骨の骨髄の中に、骨頭を支えるための長い棒のようなものが隙間なく深く差し込まれ、半球のカップが骨頭を受け止めているので、滑らかに痛みなく足が動く。
私たちの体中のすべての骨には、精密に計算された形が組まれ、重ねられており、体は、脳や骨、内臓、血管、筋肉などなど全てがつながり、動くことができる。歩く、走る、座る、立つなど必要な動作は、骨だけでなくあらゆる体中の機能が働く。神様のみ業は、綿密である。人だけでなくこの世の生きるものすべてに神の驚くべきみ業が備えられ、恵みをいただいている。しかし人は、体調を崩し、動けなくならないとその恵みがわからない。私は、この度当たり前だと思っているものすべてが、実は、神のみ業で与えられたみ恵だと改めて感じた。神様は、一人ひとりに賜物をお与えになっている。それを神のみ旨に添うよう私は、感謝して大切に、できれば有効に使っていきたいと思う。
「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。」エフェソ信徒への手紙4:16