涙の子は決して滅びることはない

4世紀に活躍した古代教父アウグスティヌスは、現代においても大きな影響力を持つ神学者であるが、青年時代は異教に没頭し、福音に背を向けていた。しかし、彼は劇的な回心をもって信仰に至る。その背後には、アウグスティヌスの母モニカの祈りがあったと言われている。アウグスティヌスは、回心した後に母モニカの祈りについて語っている。「私の母が祈る時、涙が川の水のように流れ落ちて、彼女がどこで私のために祈ってくれても、あなたのしもべ私の母が祈る時、彼女の膝の下の地面が濡れているほどでした。」座っている所が涙で濡れるほどに、モニカはそれこそもがくようにアウグスティヌスの救いを願って祈り続けたのである。

「祈っても無理だ、息子は福音に耳を貸すはずがない。」と思っても不思議ではない。しかし、愛する息子が救われてほしいとの一心で、モニカは来る日も来る日も涙を流して祈り続けた。それでも息子が救われる機運が微塵もないことに不安を覚え、司教のアンブロジウスの所に相談に行った。すると、アンブロジウスは、「安心して行きなさい。涙の子は決して滅びることはない。」と慰めた。この言葉の通り、モニカがなくなる一年前にアウグスティヌスは回心し、主を信じる者となった。後に、アウグスティヌスは、「自分を二度産んでくれた人」と母モニカに何度も感謝の意を表している。一度目は出産の苦しみであり、二度目は霊の子が誕生する苦しみである。

祈祷会でも、「わが子の救いのために祈ってください。」と毎回リクエストされ、涙して祈っておられる母親がいる。その姿に、ここにも「現代のモニカ」がいると感じる。この祈りは、主の心を激しく突き動かす涙の祈りでもある。ナインの町でやもめの息子が死んだ時、主は泣き崩れる母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい。」ルカ7:13と言われ、息子を生き返らせた。この涙の祈りに主は応えられたのである。

この涙の祈りこそ子を思う母の涙である。理屈抜きに飛び込んでいき、無意味だと笑われても必死になって家族の救いのために何でもする母にしかできない愛の姿がある。お母さんたち、わが子の不信仰を嘆く前に、諦めることなく、主の心を激しく突き動かすほどの涙の祈りを捧げようではないか。涙の子は決して滅びることはない。主は、涙の祈りを必ず聞いていてくださるからである。そして、教会はいつもこの母の涙の祈りに支えられていることを覚えよう。

「主はこう言われる。わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。」イザヤ38:5