育てたように子は育つ

書の詩人・相田みつをの言葉に「育てたように子は育つ」というのがある。この言葉に、ドキっとする人はいないか。確かに、「育てたいように」「親の希望通りに」は、子どもは育たないと思うからである。しかし、子どもの姿は、「育てたように育」った姿なのである。「育てたように」とは、親の意図的な教育・しつけを言っているのではない。「子は、親の背中を見て育つ」という表現があるが、親の姿・行動をよく見ているのである。自分の子どもを見ていて、「なんだか、自分に似ているなぁ」と思うことはないか。それは、教えてそうなったわけではない。それは、親の姿の映しなのだと思う。つまり、「育てたように」子は育っていくのである。教育学者ドロシー・ロー・ノルトは『子は親の鏡』というの詩の中でそのことを語っている。   

けなされて育つと、子どもは人をけなすようになる

とげとげした家庭で育つと、子どもは乱暴になる

不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは自信を持つようになる

広い心で接すれば、キレる子にはならない

誉めてあげれば、子どもは明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは人を愛することを学ぶ

認めてあげれば、子どもは自分が好きになる

見つめてあげれば、子どもは頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは思いやりを学ぶ

親が正直であれば、子どもは正直であることの大切さを知る

子どもに公平であれば、子どもは正義感のある子に育つ

優しく思いやりをもって育てれば、子どもは優しい子に育つ

和気あいあいとした家庭で育てば、子どもはこの世の中はいいところだと思えるようになる

聖書にも、「若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることがないであろう。」箴言22:6とある。この「教育せよ」とは、単に教えよということではない。共に育だつということである。神を愛し、人を愛して生きていこうとする親の姿を見て、子どもはそれに倣って、神を愛し、人を愛する人として育っていくであろう。