真冬に逆戻りの天気が続き、雪景色も目にしたが、気づけばもう3月。
昨秋より私立男子中高の仕事に関わらせて頂いており、年度末で退任する先生方、卒業してゆく生徒さんの姿など、自分にとってこれまでに無い感覚の3月となった。昨年3月まで勤務した乳児園は、このまま続けるべきか考えながら3年勤めたが、離職の直接のきっかけは、仕事中に低血圧で一瞬意識を失ったこと。過去にも何度か経験があり、今回も脳CT他に異常無く軽い脱水?起因のようだが、運転を含む仕事を辞める決意には十分な出来事だった。かくして「我六十三にして学を志す」。日本語教師養成コースに通学開始、今月末修了見込となる。その間、雇用保険受給方法や、「スキマバイト」アプリに詳しくなり、就業日数を増やそうと画策した頃にダメ元で応募した私立校に採用され「先生」と呼ばれるようになり、(厳密には理科実験の「助手」で「先生」では無いが…)、慌ただしく一年が流れた。日本語教師養成コースで何十年かぶりに学生として勉強するのも新鮮であり、また学校という環境で仕事することも、(突然生徒に質問され、答えに窮し切り抜けるときを含め)刺激的な毎日を過ごしている。
大学に入学した頃、教員を夢見てかなり努力して勉強した。が、半年後に腎炎で休学、結果的に6年を要した大学生活の最終年度で諦めた教育関係の仕事の夢が、まさか40年の時を経てこんな形で実現しようとは。そしてこの学校に兄の元同僚の先生が居るとは…不思議な思いを禁じ得なかった。
ある人は自分の人生に起こることを自身の実力、努力の成果だと捉え、ある人は同じことを運が良い、悪い、と理解するかもしれない。私はと言えば、一つ強く感じることは、若い頃の挫折感や諦めの気持ちもそのままに全てはつながっていて、今歩むべき道を示している、ということだ。これは「神のご計画」「神の導き」のキーワード必須箇所かもしれないが、果たしてそうなのか今は分からない。人生の旅路を完走できた時に理解できるのだろうか? 高校当時、全生徒必修の賛美歌に「わが行く末の禍幸知らず、されど我が身は汝がものなれば、任せまつりて恐れはあらじ」という一節があった。さすがに古臭さ満載の歌詞だが、45年経ってなお、胸に刻まれている。
年齢的に、仕事という形で社会的活動ができるのはあと何年ほどか?その間何をすべきか?いろんな思いが錯綜するが、ただ我が身は汝(主)のもの。閉ざされるべき時には道は閉じ、開かれるべき時に開くであろう。いまや都内のコンビ二の店員さんが日本人である確率は半分以下くらいだろうか。来日する若者相手の日本語学校も活況だそうだ。この年齢にして就活中だが、道が開けば、新年度は「理科」に加え「日本語」での歩みを進めたいと思う。