社会問題に関心がないわけではないけれど、自分の中できちんと消化するのは苦手だ。何か話そうとするとふんわりした言葉しか出てこなくて、上っ面な自分にがっかりする。そんな自分に抗って、ニュース番組で世界情勢を知ろうとするけれど、素地がないから途中でこんがらがるし、知るほどに自分の存在なんて小さすぎて、どうせ何も変わらないと無力感でチャンネルを変えてしまう。
…でも、私にも神様の願われる平和への思いはある。「私の、この隣から、平和をつくっていける者にしてください。」この思いが、少し前から私の祈りに入ってきた。私はとても小さい。そんな私が「平和をつくっていける者に」なんて驕っていると言われるかもしれない。だけど、私のすぐ隣に「何か」や「誰か」が在る。私とその「何か」や「誰か」との間に小さな平和の種を撒けたら…。それがまたその隣の「何か」や「誰か」に広がったら…。やっぱり相変わらずふんわりなのだが、そんな想像をしていたら一つの賛美歌を思い出した。
♪みんなで花園つくろう 花を咲かそう
世界の人に御神の 愛の花咲かせましょう♪
1970〜80年頃、教会に集う若者世代に広く愛された歌集「みんなで歌おう」の一曲。「みどり色の歌集」の一言で「あぁ!」とわかってしまう我が世代のベストセラー歌集だ。それはさておき。
ずいぶん久しぶりに思い出したこの賛美歌が今の思いにピタッときた。自分の足元に自分にできる平和の種を蒔こう。今の私にできる平和の種まきは、80年前までの戦争、侵略で行われてきた事を知ろうとすること。それを忘れないこと。いつか無言館に行ってみたい。沖縄の基地がなくなるまで首相官邸前ゴスペルに参加し続ける。それから、たくさん想像しよう。私が見ている、私の隣の「何か」や「誰か」はそのほんの一部に過ぎず、その先にたくさんの私の知らない「何か」や「誰か」が在る。知らないことに出会う時、人は少なからず恐れを感じるけど、そんな自分も大事にして、ちょっとばかり想像の翼を拡げてみよう。その一歩が間違ってなければ神様は必ず手を引いてくださる。そして「何か」や「誰か」に知り合えた時、小さな平和の種が蒔かれる。やがてあちこちに芽が出ていろんな色の花が咲いたら!やっぱりふんわりだけど、けっこう真面目にそう願っている。