今日は、嬉しいことに3名の方がバプテスマの恵みにあずかり、神の家族として、上尾教会にお迎えすることができた。バプテスマは、信仰生活のスタートであり、ゲストからホストになることだと思っている。
その姿を、ルカ19章に登場する「ザアカイ」に見る。ザアカイは、木の上から主を見ようとした時、そこを通り過ぎようとした主が、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」と言われて、主を家に招いた。そしてザアカイは、財産を貧しい人に分け与え、人々との関係を回復していった。この話は、主に招かれたゲストから、主を迎えるホストへと変えられた物語である。
これはザアカイだけの話ではない。主に招かれた者は誰でも、今度は主を招くホストへと変えられていく。ザアカイの身に起こったことは、「ゲストからホストへ」という立場の逆転である。今までは教会に気が向いた時にお客様(ゲスト)のように行っていた者が、神の家族(ホスト)となり、誰かを迎える者、教会の働きを担う者となる。そのために、自分に与えられた賜物(時間や体や能力や金銭)を用いていく。その時、「ああ、自分は主の家である教会を共に建て上げているんだ」という深い喜びが生まれる。これは、ゲストのままでは決して味わえない喜びである。
ゲストからホストになることは、大変ではないかと思う人がいるかもしれない。確かに、家族になると責任が伴う。しかし、その大変さの中にこそ、神の喜びが宿る。もてなす側になると、時間を使う、力を使う、気を遣う、時に傷つき、報われないことも経験する。しかし、「受けるよりは与える方が幸いである」使徒言行録20:35との御言葉を実感する。つまり、大変さの中にこそ、神が与える深い幸いがある。神が自分を用いてくださり、自分が誰かの喜びにつながっていることを実感する。
ゲストは気楽かもしれないが、しかし、ホストとして生きる時、きずなは深まり、交わりは豊かになり 神の家族であることの恵みが溢れていく。渡辺和子さんが、「置かれた場所で咲きなさい」と名言を残したが、「置かれた場所」上尾教会で、あなたらしく、あなたのペースで、神がくださった花を咲かせてほしいと願っている。あなたが咲かせる花は、必ず誰かの慰めとなり、励ましとなり、希望となるだろう。教会は、互いの花を喜び合い、支え合う神の家族である。そのために、教会員となって、神の恵みの下で共に生きる者となり、深い交わりと大きな喜びにあずかりたい。

