君はどう生きるか ~キリスト教会編~ 

一昨日最終回を迎えたNHK朝ドラ「ばけばけ」のある一場面。時は明治、1890年頃、お手伝いさんが焼き網の上でパンを焦がさないよう付きっきりで焼いていた時、その様子を「大変だねぇ」と見ていた書生さんとの会話。「誰も見ていなくてもパンが焼ける道具があったら良いのに」「えー!そしたら誰もみていなくても魚が焼けて!」「じゃ、勝手に米が炊けて、勝手に風呂が沸いて、勝手に洗濯するたらいとか!」 クスッと笑ってしまったが、70年もすればそんなあり得ないと思っている道具が、人々の生活に当たり前のものとなっていくのである。

そして2026年の今、更なる進化を遂げAIなるものを搭載したオーブントースターは勝手にパンが焼けるだけでなく、食材によって焼き加減を最適化してくれるし、炊飯器はどんなお米でもその乾燥状態や季節に合わせて美味しく炊き上げる。洗濯機は洗濯物の量や汚れ、水温や水質を感知し、最適な洗剤量を投入、終わったら携帯に終了のお知らせをしてくれる…のだそうだ。人の飽くなき探究心は何とも便利で快適な世の中を作り出しているのだが、中学校教諭をしている息子からこんな話を聞いた。「そのうち卒業アルバムが無くなるかもしれない。」…かのAIを使ってわいせつな画像と卒業アルバムの顔を合成してネットで拡散するという悪質な行為が問題になっているというのだ。

私たちは神様から一人一人オリジナルの、心や身体、知恵や力、お金に時間を預かっている。しかも、どう使うかはあなたに任せるという「自由」をも預かっている。ところが、その自由はとても難しく厳しい事を人間の歴史は学んできた。もうそろそろ学びを活かして自由と無秩序を履き違える事なく、神様からの預かり物を謙虚に受け取り、それらを善く管理する者へと人は進化したいものだが、いつの世も人間は弱い。欲望という底なし沼に飲み込まれそうになっては慌てる。さては、「弱さ」を知る事は進化の重要な鍵なのかもしれない。そもそも神様は、はなから人間の弱さを百も承知だ。もう潔く降参して人間の欲に人間が乗っ取られないように。

作中、お手伝いさんの「そんな道具が出来たら、自分なんて要らなくなるなぁ…」この台詞が心に残る。

「こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。 この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。」コリントⅠ4:1~2