「平和」について考える時、国どうしの戦争や国際情勢、あるいは先の敗戦、被爆国であるこの国のことを思い浮かべることは自然な事でしょう。その上で今回は、私にとっての平和について考えてみます。
私にとっての平和は、まず心の平安、「神様との間の平和」によって得られます。そして「身近な人との間の平和」。この二つが私が作り出せる平和なのだと感じています。
マザーテレサは、ある女性から「世界平和のために私に何ができますか。」と聞かれた時、こう答えたそうです。「家に帰ってあなたの家族にやさしくしてあげなさい。」この言葉はもう何年も私の心に響いています。家庭や職場や教会で、自分の目の前の人にやさしくすることが、世界を平和にするというのは、神様の手の中にあれば、ただのきれいごとでなく事実だと感じるのです。私たちが捧げる誰かのための祈り、誰かに向けた笑顔、思いやりは、静かな湖面に投げ入れられた小さな小石がつくる波紋のように拡がって、世界を平和にする。だから私たちは今日も小石を投げましょう。その波紋をどのように、どこまで広げるかは、神様の担当。
私には他の国で起きている戦争に影響を与える力は今はありません。政治にも正直、興味がわかないのです。けれど、死を目前にした患者さんにどう寄り添うか、体調のすぐれない友だちや教会のメンバーに寄り添い、何か役立つことをする・・・そういうことには心からの関心があります。神様は私に、「お前にはその興味関心を与えた、そこから平和を創り出せ」と言ってくださっているようです。
イエス様は、「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。」ヨハネ14:27と言われました。平和はすでに私たちに与えられているということですね。
またイエス様は、「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように。そういうことは起こると決まっている。」マタイ24:6とも言われています。世の終わりまで、すべてをご存じの方が、戦争は起こると言っている。それでも慌てるなと言われている。私にできるでしょうか、自信など全くないのですが、今のうちに祈っておこうと思います。私たちはイエス様の残した平和を手にしているということを、私の心が騒いだ時には聖霊様が思い出させてくださいと。
神との平和、となりの人との平和。いつもそこに注力できますように。シャローム