平和は日々減っていく。だからつくる。        

今夏、二つの映画に出会った。一つ目は戦後8年、1953年公開の「ひろしま」(U-NEXT配信)。この映画にはエキストラとして被爆者の方々や子どもから大人まで一般市民88,500余人の参加があったという。集まったのは人だけではなく被爆してボロボロになった衣服や瓦礫なども持ち寄られたというから、この映画への思いと熱量は計り知れない。

本作品に深く考えさせられた事が3つある。

作中において現代、つまり戦後8年が経ったある教室のシーン。おそらく8〜9歳で終戦、戦中戦後の辛苦を舐めてきた生徒らにはそれぞれの経緯があって広島に移り住んできた者も多く、このクラスにも原爆を知らない生徒が多くいた。被爆した生徒の「最近だるい」という訴えに「夏は皆だるいんだ」と笑い、「原爆に甘えている」と言い放つ。日々原爆病に怯えながら生きている級友がいるとは思いもよらない誹謗中傷があったこと。

被爆した生徒達は必死に原爆の「理由」を探す中で一冊の本に出会う。「日本の一般市民は新兵器のモルモットになったのだ。」他、幾つかの引用文は反米色が濃いと問題になり大手配給会社は手を引き、自主上映で細々とした公開に留まるに至ったこと。

「原爆と平和問題を結び付けて世界に訴えかける前に、僕はあの原爆の恐ろしさをまず日本人に、広島の人に、いやこのクラスの人達にちゃんと知って欲しい。」という生徒の台詞は、私に言われているようだったこと。

映画の終盤、青年が「勤めていた工場が砲弾を作り始めた。僕はそんな物は作りたくない。何の罪もない人達が殺し合うのはもう嫌だ!」と叫ぶ。たった8年、日本は平和憲法の下、復興に向かって歩き出したのだと思っていた。しかし既にそんな怖れを持った人達がいたのだと、この79年は常に危うい均衡を何とか保ちながら歩いてこられただけなのだと思い知らされた。

原爆直後、人々が力無く腕を前にだらりと伸ばしもつれあいながら逃げ惑うシーンは、あたかも丸木美術館で見た「原爆の図」が動き出したように見えた。二つ目の映画はその丸木夫妻のドキュメンタリー映画、昨年公開の「沖縄戦の図 全14部」。佐喜眞美術館に展示されている「沖縄戦の図」がどのように描かれていったのかを淡々と追ったものである。上映後、舞台挨拶に登壇した監督が「この映画は丸木夫妻の作品が語るものを一人ひとりに想像して感じて受け取って欲しいと願っている。」と語られた。そして「平和は何か形があって床の間に飾って置けるようなものではない。それは日々消耗し減っていくので、日々平和を生み出して補充していかなければならない。」という言葉が心の中に塊となって残った。

「平和をつくり出す人たちは、さいわいである」マタイによる福音書5:9(口語訳)