平和をつなぐ             

母は、12歳の年、第二次世界大戦の大阪大空襲を経験する。現在私の孫の年齢である。私が12歳の時は、1970年、大阪万博が開催され、毎日のように三波春夫さんの「こんにちは~、こんにちは~、世界の国から~」という歌が日本中流れていた。万博会場では、世界各国の人々が集った。「人類の進歩と調和」をテーマに、お祭り広場では、「太陽の塔」が天に向かって大屋根を貫いた。塔の内部は、「生命の樹」を軸にして生命の尊厳を物語る。世界中の子どもたちが輪になって踊る光景が今でも印象に残る。この時代は、戦争を経験した大人が、次世代には戦争の苦しみを経験させないという強い意志を持っていた気がする。

私は、この頃6年生の有志で、「天使の羽」(多分そんな名前)という壁新聞を定期的に出した。記事の一つに、職員室にいる教師に「日本は戦争を再び繰り返すと思うか。」という質問をして、アンケートの統計をとった。その時にほとんどの教師が、「日本は憲法によって守られている。」又は、「してはいけない。」という回答であった。また、「世界では、原子爆弾は、今後使われることがあるか。また日本では原子爆弾を作る可能性はあるか。」という質問では、「憲法で守られている」とか「使ってはいけない」などの回答があったように思う。当時は、日本国憲法で守られ、平和であったが、一抹の不安は、消し去ることはできなかった。

爆撃機から命からがら逃げ、奇跡的に守られた母の時代から、終戦後に公布された日本国憲法第9条「戦争放棄」によって守られている私たちの時代を過ぎ、今の子どもたちは、戦争を知らない子どものその子どもで、平和が当たり前の時代がきた。しかし今や、世界各地で起こる紛争や人道危機に、日本もまきこまれないかと恐れながら、またその子らにバトンが渡されていく。

沖縄はもとより、日本中の各基地で戦争の準備が始められている。ITを使いこなす現在は、あらゆる分野での技術、産業など、驚くほどに進歩を遂げている。しかし、決して人類は、進歩していない。数千年前の聖書のなかの人間の欠けは、現在も同じであり、同じ過ちを繰り返す。ITの進歩が更に危険をもたらす。弱い私たちは、今、み言葉を聴くこと、祈り合うことが、最も必要に感じる。

「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。 できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。」ローマ12:17-18