新聞一面に「戦後XX年」の見出しが出るのは、8月15日が最も多いのだろう。80年前のこの日を境に、日本では戦火を直接的に見ることの無い日々が継続されている。戦争を直接経験された世代の方は人口の約10%となり、戦後16年が過ぎて生まれた自身も、気が付けば来年からは「高齢者」に分類される。ともに召天した私の父は終戦時20歳、母は17歳であった。父から聞いた話で覚えているのは、兵隊に志願したが病気で一年遅れ、陸軍士官学校で訓練を受けている間に終戦となった。あと半年戦争が続いていれば出兵し、戦死していたかもしれない、との内容。母からは、終戦前夜8月14日の空襲で私にとっての曾祖母が焼死したという事実。二人とも長男長女で、それぞれの両親兄弟姉妹に戦死者は無かったが、幼く病死した弟妹はおり、おそらく同学年で帰らなかった友人もいたかと思う。父と私は36年違いの丑(うし)年、私と長男も同じ年齢差である。子供の頃、戦争の話を経験者から直接耳にした私にはその恐怖感も伝わって来たが、果たして私の世代から次の世代にはどれだけの戦争の記憶が伝承され得るのだろうか?
公開中の映画「木の上の軍隊」を観た。沖縄・伊江島で終戦を知らず山中に隠れ生き抜いた二人の兵隊の物語で、実話を基にした作品という。丁度50年前、両親の勧めた平和ツアーで沖縄を訪れた。記憶に残るのは本土復帰3年を祝う海洋博と伊江島の風景、基地となった土地返還の闘いを非暴力で続けていた人々の姿。映画の中では、隠れていた兵隊に戦争終結の事実を告げた島民の「日本軍の居た頃より米軍の居る今のほうがまだ良い…」というニュアンスの台詞が印象に残った。
「彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない」(イザヤ2:4)この聖書の言葉に反し「自衛」の名目で基地整備が進められている。私たちのこの国は歴史から何を学んだのか?。
広島平和公園の記念碑の碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」は有名であろう。碑文に対し、日本国民は原爆に関し何も過ちを犯していない、と意見する政治家すらいるのは悲しい。広島市は公式に「すべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉であり…」と答えており英語文面ではWe(私たち)が主語になっている。戦後XX年の数字がリセットされることの無いよう、歴史を正しく理解し、平和を祈り続けたい。