3月を迎え、年度の終わりと新しい歩みの始まりが重なる季節となりました。そして主の受難を覚える時を過ごしています。十字架へ向かわれる主の歩みは華やかさとは対照的な、静かで深い時だったと想像します。
スチュワードシップについて今年も思う季節です。「スチュワードシップ」と聞くと、神から与えられたものを上手に管理し、十分に活かすことを思い浮かべます。時間や才能、お金や健康を無駄にせず、より良い結果を生み出すように努めること。確かにその通りなのですが、最近、神様は私に、それとは少し違うことを教えてくださいました。
思いがけない出来事が重なり、これまで続けてきた仕事を休むことになりました。忙しすぎる仕事ではありましたが、好きで、やりがいも感じていました。日々を味わう余裕はなく疲れてもいましたが、仕事を休むという選択は自分にはありませんでした。でも状況のせいで休むことを決めました。忙しい日常が一変し、時間の流れがゆっくりになりました。家の中を整え、家族と自分のためにゆっくり食事の支度をして食卓を囲み、静かに過ごす中で、主はポツリポツリと、私のペースに合わせてゆっくりと語ってくださいました。それまでの私は「神様導いてください。でも次にすることがありますから、10秒で語ってください」と言っていたようなものだったと今は分かります。
この休職により神様と過ごす時間が豊かに与えられました。聖書の言葉をゆっくりと味わい、主に語りかけ、その返答をただお茶を飲みながら、2時間でも3時間でも神と話しながら待つ。宝物のような時間です。また、家族それぞれにとって必要な支えや変化も、この時期に重なるように与えられていることに気づかされました。すべてのことが不思議に影響し合って調和しているのです。
この期間は神様が作ったものだと思うに至りました。何か生産的なことはしなくてもよい、ただ神が共におられることを感じ、その臨在の中にとどまって親しく過ごす、その時間を神様は私に許してくださいました。そのような時を受け取り、そこに身を置くことこそスチュワードシップの第一であり、その先の実は主ご自身が結ばせてくださるのだと示されました。
受難の時を歩まれたイエス様もまた、目に見える成果の前に父なる神との深い交わりの中でその道を歩まれたことを思います。
私たちの人生では、整えられるために立ち止まることが必要ですね。その時こそ、背後で神が豊かに働いてくださっているのでしょう。
もうすぐ春、始まりの季節です。何も始まらない気がしても、主が今ここにおられることこそが最強の賜物と信じて、その臨在の中に浸って憩うことはスチュワードシップだと主は教えてくださいました。主の庭で過ごすこの時を感謝しています。

