本日の5月3日は「憲法記念日」である。日本国憲法は「平和主義」を掲げているが、主はさらに踏み込んで、「平和を実現する人々は、幸いである。」マタイ5:9と語った。平和は「与えられるもの」であると同時に、「実現するもの」でもある。争いを避けるだけではなく、和解を選び、怒りを持ち越さず、赦しを選ぶ。弱い者に寄り添い、対話を閉ざさず、諦めないで祈る、その小さな積み重ねが、家庭に、社会に、世界に平和を広げていく。平和は理念ではなく「生き方」そのものである。
今日の社会は、弱い立場の人が置き去りにされやすいが、平和は強い者の論理ではなく、弱い者の声に耳を傾ける姿勢から始まる。聖書は一貫して、「寄留者・孤児・やもめ・虐げられた者」の声に耳を傾けることを私たちに求めている。
本日の礼拝のメッセージは何だろうか。『良きサマリア人』の物語で最も重要なのは、「見て、憐れに思い、近寄った」、即ち「見て、心が動き、行動した」ことである。つまり、見ないふりをしない、心を閉ざさない、必要に応えるために行動する、これが平和を実現する者の姿である。相手の必要に応えるとは、相手の痛みを自分の痛みとして受け止めることである。「かわいそうだな」で終わらず、「あなたのために、私ができることをする」と決めることである。
マザーテレサは「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」と言ったが、教会は、無関心であってはならない。弱い者の声に応答することが求められている。
- 傷ついた人の声を聞く
- 弱い立場の人の側に立つ
- 不当な扱いに対して沈黙しない
- 子どもたちに“いのちの尊さ”を教える
- 祈りをもって、平和の道を選び続ける
これは政治的立場ではなく、イエスに従う者としての「生き方」である。教会はそのための「平和の学校」になれる場所である。互いの違いを尊重し、弱さを責めずに支え合い、子どもたちに平和の心を育て、世の不安に押し流されず、主の平和を証しする群れとなることが求められている。今日の社会は、様々な差別やヘイトが渦巻いているが、教会はそのように事に無関心であってはならない。良きサマリア人のように、相手の必要に気づき、近づき、手を差し伸べる教会でありたい。

