蛇のように賢くあれ!

今年の干支は「巳」、蛇である。「巳」という字は、母親のお腹の中にいる胎児の形を表した象形文字で、蛇が冬眠から覚めて地上にはい出す姿を表していると言われる。聖書で最初に出てくる動物は蛇である。エデンの園で蛇はエバを誘惑し、人類を罪に導く悪の象徴とされた。この蛇は、「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。」創世記3:1と言われる存在であったが、神のみ業を妨害しようと悪知恵を働かしたので、「サタンの化身」だとも言われた。主なる神は蛇に向かって、「このようなことをしたお前は あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で 呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。」創世記3:14と手足のない理由を語る。ミケランジェロは、『原罪と楽園追放』という絵の中で、蛇が木の幹に絡まって、自らの姿を惑わしながら、エバに実を渡そうとする蛇の欺瞞的な態度と人間の不本意な態度を対照的に示すことによって、人間の原罪を鋭く描く。

しかし、蛇は悪の象徴だけではない。イスラエル民族のエジプト脱出にあたって、モーセが神の指示によって杖を蛇に変える奇跡を起こし、神の力を示したこの故事は、十字架のキリストの予型であると解釈される。又、新約聖書では、「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」マタイ10:16という主の言葉もよく知られている。この「賢く」と訳されている語は、「分別のある、思慮深い、賢明な」などの意味を持つ。これらのことを踏まえると、主は、「人を誘惑したり、だましたりするために、ずる賢くあれ」と言われたのではない。そうではなく、主はここで、「善悪を分別し、忍び寄る悪をはっきりとしりぞけることができるように、賢明であれ」と言われたのである。

谷川俊太郎さんの『生きる』という詩の一節に、「生きているということ いま生きているということ・・・すべての美しいものに出会うということ そして かくされた悪を注意深くこばむこと」とあった。私たちは生きていく中でさまざまな美しいものに出会っていく。一方で、私たち人間社会が生み出す悪にも出会っていく。「生きる」ということは、谷川俊太郎さんがこの詩で記すように、美しいものに出会い、心を育んでいくことであると同時に、「かくされた悪を注意深くこばむこと」、自分の心を悪いものから守っていくことでもある。人は「蛇のように賢く」「鳩のように素直になる」この両方が必要であることを改めて教えられる。そのバランスを取ることはとても難しいが、蛇のように古い自分を脱皮しながら、主のみ言葉に生きていきたい。