賜物を分かち合う喜び―奏楽者研修会を通して    

1月31日(土)、上尾教会を会場に「北関奏楽者研修会」を開催しました。上尾教会からは、講師として参加した私と武章子さんを含め、5名が参加しました。

午前中は、まず私から奏楽者の心得についてお話し、その後は参加者同士で悩みを分かち合う時間を持ちました。話題は尽きず、時間が足りないほど盛り上がりました。休憩時間には、秋山純子さん特製の豚汁で心も体も温まり、午後はグループレッスンへと続きました。

今回、私は教える立場として参加しましたが、実際には皆さんから学ぶことの方が多く、多くの刺激を受けました。また、この研修会の準備を通して、「賜物の良き管理者」としてどのように歩むべきかを深く考えさせられました。

奏楽とは、単に鍵盤が弾ける人が音を奏でるということではありません。楽器を通して賛美をささげ、主をほめたたえることです。しかし、この少し特別なスキルを必要とする奉仕においては、気を付けていないと「神様」ではなく「自分」が主役になってしまう危険が潜んでいます。「今日の奏楽、素晴らしかったよ」「感動しました」といった温かい言葉をいただくと、つい「私ってすごいんだ」と思ってしまいがちです。(とはいえ、褒められるのは励みになるので、遠慮なく褒めてくださいね)

研修会に参加された方々の中には、「教会で奏楽者が自分しかいない」という方や、「独学でピアノを始めました」という方もおられました。皆さん本当に熱心で、少しアドバイスをするだけでみるみる上達されていきました。その姿を見る瞬間が、私は何より好きです。自分が弾くよりも、教えた相手が前より上手に弾けて喜んでいる姿を見るのは、とても幸せな時間です。

昨年のクリスマスは、奏楽の出番が多かったにもかかわらず、神様のストップがかかり、1か月以上ほぼ寝たきりの生活を送りました。かっこいいと思って取り寄せた楽譜も、頭をフル回転させてアレンジした曲も、何ひとつ弾かないままクリスマスが過ぎていきました。十分な技術があっても、主の御心でなければ用いられないのだということを痛感しました。振り返れば、あの時の私は主のご降誕を祝うどころか、自己中心な思いで突っ走っていたのだと思います。

神様が私に与えてくださった「奏楽」という賜物。それを自分の中だけに留めるのではなく、必要としている人たちと分かち合うように導かれていると感じています。これからも「主がご入用なのです」と言って、自分をささげられる者でありたいと願っています。