平和を描こう             

「平和」と聞いて思い浮かべる情景があります。

豊かな自然、緑の山々、風の吹く草原、碧い海、波の音、鳥や虫の声、色とりどりの花、果物、こどもから老人まですべての人々の笑顔、笑う声、共に遊び、おいしそうに食べる姿、私の心は穏やかで、自由で、体は軽い。

「正義は平和を生じ、正義の結ぶ実はとこしえの平安と信頼である。」イザヤ32:17

現実に目を向けると、私たちは平和とはほど遠い出来事を毎日目にします。戦争、暴力、搾取、自然災害、自然破壊。そして私自身の内にも不安や不満、怒りや苛立ち、人を責める思いがあります。

では、聖書が語る平和を生む「正義」とはどんなものなのかと思いめぐらしました。律法的に正しい行いをすることではないと、パウロが命を懸けて語り歩いたことを私たち上尾教会は、今、使徒言行録から聴いています。律法もルールも本来は人を損なわないために作られていますが、何一つ規則に違反していなくても人を傷つけ、平和から遠ざかります。愛がなければ正義ではないというのは真実ですから逆らえば、平和を生むことはないでしょう。

はじめに世界が創造された時、そこには完全な平和があったことと思います。人の罪によって損なわれる平和を、この地上で完全に取り戻すことはできないとわかってはいます。それでも私は、神様が心に見せてくださったあの平和の情景を、今ここで少しづつでも生きたいと思います。

パウロはフィリピ4:8で勧めています。真実なこと、正しいこと、尊ぶべきこと、純粋なこと、愛すべきことを心に留めるようにと。コロサイ3:1~2では、上にあるものを求めるようにと。

ですから私は、あの平和の情景を、心の軽さと平安を、一日に何度でも思い出そうと思います。そして「この平和の中にいる私なら、今、何を思い、何を語り、どう行動するだろう」と想像しながら、それを選択しようと思います。

神様が見せてくださる平和を心に留め、その平和を今日ここで生きる者でありたいと主に在って願います。