平和を造り出すには      

2026年度の東京バプテスト神学校の夏期講座は、「沖縄から見る世界」―キリスト者の視点から―と題してフリージャーナリストの新田義貴氏を講師に、8月10日~11日の2日間にわたって開かれた。
沖縄のみならず、ウクライナ、パレスチナなどの豊富な海外取材の映像を通して、本や新聞やテレビとも違う映像の持つ力のすごさに圧倒された。沖縄では、慰霊塔に向かい戦争の犠牲者を弔い平和を誓う人たちとは別に、日本を守ってくださった英霊さまに感謝する人たちも映し出されていた。私は違和感を覚えたが、それが現状なのだと思った。
ウクライナの映像では、実際現地で働いている日本人牧師の紹介があった。牧師が戦場から帰ってきた若い兵士と話し合いを試みるが頑なに拒否されていた。残酷な戦争を経験した者は、軽々しく語れない、その心の傷の深さを思った。日本人牧師の「やわな福音理解では、何ともならない」と語る言葉が心に響いた。
また、今イランと戦争をしている米国トランプ大統領を支える福音派とよばれる人たちの姿も紹介された。大統領は政権内部に信仰局を作り、自分を支援する人たちを身近に置いている。政教分離違反ではないのか。そもそもキリスト者が戦争に加担していいのか。私にはさまざまな疑問が湧いてきた。
新田氏は、あえて立場の違う人たち、さまざまな考えの方たちを映し出すことによって、世界の現状、世界の今を伝えている。そして、私たちに考える課題を提供している。世界はあまりにも複雑で簡単に割り切れない。講演後の懇談会で、「知れば知るほど絶望的になります」との意見もあったが、「立場の違う人と対話をすることが大切。それが平和につながっていくのでは」との意見もあり、アーメンと思った。
私たちは、今のこの世の不条理を先ず知ること。自分とは立場や意見の違う人たちとも対話をする。理解しようと努める(理解はイコ-ル賛成ではない)ことが大切だと思った。対話には時間がかかる。だからといって、独断と偏見で物事を解決しようとすると戦争や争いになると思う。平和を造り出すには対話が必要で、それには忍耐強さが求められている。人間どうし、国どうしの信頼関係は軍事力によっては得られない。常日頃から、他者と共に歩む、理解しようと努める姿勢を忘れずにしていきたいと思った。
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」マタイ5:9