星野富弘さんの自伝に、『渡良瀬川』という文章がある。星野さんが小学生の時、渡良瀬川で溺れかけたことがあった。その時に、いつも眺めていた渡良瀬川の流れる姿を思い浮かべた。深い所は青々と水をたたえているが、それはほんの一部で、あとは白い泡を立てて流れている、人の膝くらいの浅い所の多い川の姿であった。その時に、星野さんは、「今、自分が流されている所は深い所だが、流れに身を任せていけば、必ず浅い所に行くはずだ」とひらめいた。今までは、元いた場所に戻ろうと必死にもがいていた。それで川の流れに逆らって、ますます溺れそうになっていた。流れのままに流されていけば、浅い所へ行くのではないかと思い、流れに抵抗するのをやめて、流されていって足を降ろすと、水は膝までしかなく助かった。
その当時のことを思い出して、星野さんは次のように書いている。「怪我をして全く動けないままに、将来のこと、過ぎた日のことを思い、悩んでいた時、ふと激流に流されながら、元いた場所に泳ぎつこうともがいている自分の姿を見たような気がした。そして思った。なにもあそこに戻らなくてもいいんじゃないか…流されている私に今できる一番よいことをすればいいんだ。その頃から、私を支配していた闘病という意識が少しずつうすれていったように思っている。歩けない足と動かない手と向き合って、歯をくいしばりながら一日一日を送るのではなく、むしろ動かないからだから、教えられながら生活しようという気持ちになったのである。」
私たちも、かつての星野さんのように、元いた場所に戻ろうと必死にもがいて、自分の思い通りにいかないと、「なぜこうならないのか」と、苦しくなることはないだろうか。だからこそ、星野さんの渡良瀬川の体験は、「神に自分の人生を任せる」信仰の大切さを教えている。信仰は、「自分の力だけで元の岸に戻ろうとする生き方」から「流れの中で導かれる方向へ進む生き方」への転換と言えるからである。
信仰は、「戻れないことは失敗ではない」「別の浅瀬が必ずある」「流れの中で最善を選べばよい」と教えている。神を信じることは、自分の力でどうにかしようともがく生き方から、任せることで自由になる生き方へと移ることである。神の導きは、自分の思いとは違うことが多い。その神の導きという流れを信じて身を任せると、結果として心が軽くなる。星野さんの体験は、まさにこの流れに身を任せることにあった。「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。」箴言19:21

