人生の保険

 

 ショッピングモールを子連れで歩いていると、必ずといっていいほど保険の勧誘に会います。魅力的な景品やお菓子につられてほいほいと話を聞きに行く私は、既にいくつか保険に入っているにも関わらず、これから先なにがあるか分からないからと商品を紹介される度に、心が揺れ動いてしまいます。また、最近は物価の上昇が著しく、少子高齢化や年金制度への不安も相まって、いくら働いても老後への貯えには足りないのではないかと心配になります。

 将来への不安、は考え出すと切りがありません。健康、仕事、家庭、子育て、教会、全てが自分の思い描いた通りに進む保証はなにもありません。最近、私の身近な人が教会の玄関で滑って転んで歩けなくなるという事態が発生しました。まさに私たちの人生は1秒先のことも隠されていることを目の当たりにしました。しかし、「不安」に飲み込まれてしまっていては、せっかく与えられた人生を楽しむことはできません。むしろ、日々与えられている「当たり前のこと」が「当たり前ではない」と感謝して生きる方が豊かな人生を歩めることでしょう。

 先ほど、教会で滑って転んだ方がいると述べましたが、教会の強みとは、大変なことが起こった時でも、その背後に主の計画があると信じ、祈って支えられるということだと思います。現在も教会員の中には病気やケガ等の理由で教会に足を運ぶことが叶わない方たちがいますが、その方たちのことを覚え、祈り、また手紙や電話で励ましのメッセージを送るということが続いています。その皆さんの温かさに本人や家族はどれだけ救われていることでしょう。人の痛みに寄り添う、ということは、まさにイエス様が言われた、「隣人を自分のように愛しなさい。」マタイ22:39という御言葉の実践だと思います。

神様を信じてクリスチャンになったからといって、将来が安泰という保証はなにもありません。天国から毎月口座にお金が振り込まれるとか、不老不死の体を手に入れられるとか、夫婦喧嘩を一生しなくてよくなるとか、そんな夢みたいな話はありません。しかし、「何があっても大丈夫」というプライスレスな保険に入ることはできます。神様が私たちを見捨てることはないと約束していてくださっているからです。ですから、過度な不安は捨てて、日々の恵みに感謝し、同じ信仰をもつ仲間と共に祈り、支え合いながら人生を謳歌したいと思います。

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」マタイ6:33-34