聖書を「物語として読む」

聖書を「物語として読む」

上尾教会のホームページには、教会学校について、下記のように案内している。

日曜日  9:30~10:15
幼小科(0歳~小6)、ユース科(中1~青年)、成人科、入門科(初めての方)
教会学校では、様々なクラスで聖書を学びます。すべての人々が神様に愛されていることを知り、家庭や学校・職場などの悩みを分かち合い、み言葉を通して慰めを頂きます。 

教会学校では、聖書を一緒に学びながら、お互いの心が慰められ、豊かにされ、礼拝とは違った恵みがあるので、どなたでも、是非参加してほしいと願っている。

聖書を学ぶという時、聖書を断片的に読むのではなく、「物語として読む」ことが大切である。それは、登場人物に注目しながら読むことである。神がどのようにしてこの世界を創られたのか、その始まりのアダムとエバの物語から、イスラエルの人々の苦難と、神による救済の歴史へと続いていく旧約聖書は、人間の物語がぎっしり詰まった宝の倉のようである。また、すべての人々にとって喜ばしい知らせとなった主の誕生から、十字架の死と復活に至るその一生を辿り、ヨハネが見た幻で終わる新約聖書には、主や弟子たちの話だけでなく、主の譬話も沢山入っている。

幼小科に出てみると、リーダー自身が聖書の豊かさを、自分の中から湧き出る言葉で、子どもたちに向けて、自由に生き生きと語りかけている。それによって、聖書の中の人物の一人ひとりが目に浮かんでくる。また、その話を聴いている子どもたちも想像をふくらませ、自分が登場人物になりきって、み言葉を心に刻んでいる。

聖書を「物語として読む」とは、想像力を働かせて、自分へのメッセージとして汲み取ることである。すると、物語が伝える経験を自分も経験する。登場人物は、「わたし」のことだとわかる。聖書は、歴史を通して伝えられてきた物語であると共に、実は、自分の生活の中で「自分の物語」として響き合うものであることがわかる。

このように、聖書が語る物語は、今、聴いている一人ひとりがその物語に共感し、自分の物語として、励まされ、慰められ、勇気づけられることにある。だから、各自が生活の中での様々な経験をクラスで分かち合うことによって、聖書の物語の意味を更に深く理解することができる。聖書を「物語として読む」ことによって、お互いが「自分の物語」を見出していく、教会学校がそんな場所になることを期待したい。